カテゴリー: 11 一般的考察

2012年08月19日

福井の夏休み:家族たち

弟家族は4人、うちが5人、で、母も入れて10人でバーベキュー、がこの夏休み@福井の始まり。
池田町の冠山に行ってきました。「冠山青少年旅行村キャンプ場
屋根付きのバーベキュー施設なので、日差しも気になりません。ワイワイガヤガヤ、楽しく2時間。
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それにしてもバーベキューなんて、私は何年ぶりだろう・・・
弟は好きなので多摩川でもときどきやっているようだけれど、私は10年ぶりくらいのような。
なので弟に任せようと思っていたのだが、ふと気がついたら焼き役になっており、そして弟は食べ役になっており、そのまま最後までそうでした(笑)

ただ、なんといってもこの川下りが最高でした。
幼児から大人・老人まで楽しめる、手軽なものです。
足羽川の源流だそうで、水は綺麗でしかもほとんどのところが浅いのです。

キャンプ場から少しくだって、モクモクハウスへ。そこが集合場所です。
そこで水着なりに着替えて、ライフジャケットやヘルメットをつけて、スタート地点へ。
スタート地点そのものが水遊びには最適の場所です。
広くて浅くて綺麗で。
子どもたちの歓声が、しずかな渓流に響きます。

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2㎞を急いで下って30分。ゆっくりで40分。
同乗していた母が大いに楽しみ、「どんどん行って」と急かしたので、私のボートは30分コースでした(笑)
6艘のゴムボートが、少しずつ間をあけて、進みますが、途中でぐるぐる回ってしまったりで、意外と抜きつ抜かれつがありますし、ちょっとした急流もあってまた楽し。
ゴール地点では飛び込み自由な岩場(水面からは50cm足らず)もあり、そこでどぼんどぼんと何度か飛び込んで、締めました。


さて、永平寺の自宅庭は、この春、「森」に。
そのメインは2本の桜で、これははるばる岐阜から運ばれてきたヤマザクラ。

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庭の真ん中には高さ5mのブランコがあり、その向こうには福井平野を一望できるウッドデッキが。

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100kg超の弟も、楽しみました。いや、耐久試験か(笑)

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さて、母にとっての今夏のメインイベントは、ダブルの法事。
父の7回忌と祖父の50回忌。
われわれに加えて、姉家族、姪家族、叔父叔母家族ら、合計・・・・23人かな。

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座布団だらけですが、この座布団たちは普段はこの和室の床下収納や2階の巨大納戸にしまわれているのです。
この部屋はいわゆる仏間。ただ障子・襖を開けると、和室が2つつながり、廊下も取り入れて20畳ほどの法事用仏間ができあがる仕組みなのでした。

お坊さんの読経と講話で1時間。その後の宴会で2時間。
準備に数ヶ月かけた、母の大イベント終了です。私は当主として、ご挨拶を少々のみ(笑)

次回は祖母の13回忌。6年後かな。
それまでみなさん、お元気で。

ヒトが集まることも含めて、リアルな体験、ダイジにしたいです。

2012年08月18日

福井の夏休み:その一瞬の空

今回は、瞬間の空、をいくつか。

まずは時速800kmくらいで移動中、高度数千メートルで見た、積乱雲。
頭の部分が横に長く伸びています。8月15日。

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小松空港から高速バスで移動中。
坂井平野の辺りです。
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そして永平寺町のわが家から。16日。
西側は福井平野を一望できます。鉄塔は水力発電所からの電力を運ぶ道。
昔からお馴染みです。日没まであと10秒!
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翌17日、日没後の残照も終わりかけ。
南の空は青く染まります。
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そして18日午前中の突然の入道雲。これは積乱雲というより、入道雲(笑)
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午後、ざーーーっと一雨来て、その後。
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夕刻、この世のすべての色がここにあるかのような、空でした。
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そして翌朝、朝焼けにほんのり染まる「西の空」
夜明け前、こんな一瞬も、あるのです。 
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空はたった数十㎞の厚みしかなくて、地球の大きさに比べれば林檎の皮のような存在だけれど、それでも生命を守り千変万化の形や色を見せてくれます。
これからも、そんな空を見続けていきたい。それは私がうつむかず、顔を上げている証拠でもあるから。

2012年07月17日

充電の仕方:その1 読書

6月から始まった研修・授業ラッシュが、ようやく一段落。 
先週は7つ、先々週は6つの研修や授業があった。 

対象は小学校低学年から、社会人大学院生、看護師さんと多彩な顔ぶれである。 

次は来週水曜7/25の飲食関係者向け、までしばし休憩である。 
ふ~。 

ちょっと充電しよう。 

本を読んで、テレビを見て、ヒトと話して、ゲームして。 

いや、いつもしてるんだけど、時間制限無しで思い切り。 


まずは今日は、読書。 
次の次の本に向けて、ちょっとお勉強でもある。 
『アイデアのつくり方』 
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『意思決定のための「分析の技術」』 
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前者はヤング&ルビカムのヤングさんが1940年に書いたもの。超古典である。薄くてかわいいハードカバー。 
後者はマッキンゼーの後さんのもの。分厚くてギッシリ観が凄いソフトカバーなのである。 

今日はこれらを楽しみましょう~。 


そう、次の次の本の予定が決まったのである。 
次の本、は『実例で必ず身につく! 一瞬で大切なことを伝える技術』。明日、見本刷り。来週発刊。 
次の次の本は・・・まだヒミツである。発刊は11月くらいかな~。

2012年05月14日

『メラビアンの法則』の誤用はなぜなくならない?

私のブラウザーのホームは「goo」である。
なぜか昔からそうで、まあ、ごちゃごちゃしていなくてスッキリシンプル、宣伝少なめなのが気に入っている。

ところがそこのトップニュースの一角に一昨日こんなものが。


「ん?」と思ってみた見たら案の定、『メラビアンの法則』の誤用であった。

メラビアンはそんなこと言っていないのに未だにこういう俗説(誤った解釈)を論拠にする主張や論説が堂々と出てくる。

せめてWikipediaくらいは読もう。ときどき間違っているけどね(笑)
そしてその原典に当たろう。今回ならせめて、http://www2u.biglobe.ne.jp/~hiraki/d74.htm を読もう。

その解説によれば、メラビアンの実験は単純で、たとえば、「thanks」っていう『言葉』を、いろいろな声色(怒った、とか)で録音し、いろいろな表情の写真とともに被験者に見せ、その言葉をどう思ったか、というもの。
感謝と取れば、言葉の勝ち、表情通りなら表情の勝ち、声色通りなら声の勝ち。
それの勝率が
55%=Visual (視覚情報:見た目・表情・しぐさ・視線)
38%=Vocal (聴覚情報:声の質・速さ・大きさ・口調)
 7%=Verbal (言語情報:言葉そのものの意味)
だっただけの話。
この実験で意思を伝えるには「言葉より見た目!」とか言えるのか???
意思ではなく感情を伝えるのに何が効くのか、ならわかるが、なんで上記のような俗説が流布したかは疑問である。

DOLの記者さんも、ちょっと調べたら良かったのに・・・。

こういうのは他にも色々あって、たとえば「働きアリ実験」もそうである。
良くいわれる俗説によれば、組織の中には2:6:2の比率で、優秀な人、ふつうな人、働かない人がいて、もし働かない人がいなくなると、ふつうの人の一部が働かない人になってしまう、というもの。
(だからリストラはムダだと言いたいらしい)

その論拠は、人でなくアリに対しての実験なのだが、実験内容も結果もこの俗説はまったく違う。
北海道大学の長谷川栄祐准教授の研究によれば、「優秀なアリがいなくなると、ふつうのアリの一部が頑張るようになる」「でもサボりアリは絶対働かない」というもの。

ただいずれにせよ、これは100匹のアリでの話。
ヒトの社会においてどうかはまったく別のお話しであろう。なのになぜ、ここでも俗説は強いのか・・・

ヒトは自分の主張にあったものを勝手に解釈する生き物である、ということなのだろう。
でも、他人の主張(や論拠)を鵜呑みにすることはない。ダイジなコトこそ、客観的・批判的に。できれば自分に対しても。

2012年01月13日

美智子皇后のお歌によせて

いつも特に関心は無いのだが、たまたま1/12に行われた「歌会始」のニュースを見た。

天皇陛下
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと  見下ろす海は青く静まる

美智子皇后
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく  岸とふ文字を歳時記に見ず

と詠まれたという。

天皇のものは、ああ実直な方なのだな、と思った。
天皇の歌に評価など誰もしない。だから思ったそのままを詠めば良い。
ストレートで、でも海の怖さと深さを感じさせるものだった。

美智子皇后の歌は、初めはよくわからなかった。
すぐには上の句と下の句が、つながらない。

上の句:ずっと立って待ち続けている
下の句:「岸」は歳時記にない

「岸」がお題であることは知っていたが、それが歳時記にないからどうだと言うのだろう。でもそのときひらめいた。
上の句で「季」を「とき」と読ませているのはなぜだ?そうだ、季語だ!
歳時記にないとは季語ではないということであり、つまりは「どの季節であろうがいつでも」という意味なのだと。

津波に家族を流されたものは、岸に立ってその帰りを待ち続ける。
季節も年も関係なく、いつまでも。

きっとそういう意味なのだろうと直感した。
まさに美智子皇后の知性と感性と慈愛の結晶である。


実は結構、美智子皇后は好きである。
昔、『橋をかける』を読んだからだ。

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国際児童図書評議会(IBBY)の名誉総裁である彼女は、1998年夏、ニューデリー大会の基調講演をビデオで行った。
大会のテーマは「子どもの本を通しての平和」
彼女はそれに対して「子ども時代の読書の思い出」と題して、幼少時からのそして母となってからの読書経験を語った。

そして最後子ども時代の読書の価値について、述べている。少し長いが、抜粋しよう。

「今振り返って、私にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう」

「何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました」

「それはある時には私に根っこを与え、ある時にはをくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました

「読害は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした」

「悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって延びようとする心が養われることが大切だと思います」

「そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても

美智子皇后は語ります。この世界がいかに複雑で悲しみに満ちていて、苦しいものであるか。
そして読書こそが、それを理解し、それに耐えるための喜びを与え、違いを乗り越えて平和へとつながる「橋」をかけてくれるのだと。

書題の『橋をかける』はきっとここから来ているのでしょう。
この基調公演ビデオは、NHKによって収録され、放映されました。多分私はそれを見たのだと思います。
衝撃でした。
彼女がこの世界の困難さを、正面から受け止めていることに。
そして、本という私の最も好きなものにこそ、それを乗り越える力があるのだということに。

それからずっと隠れファン。

美智子さま、ご健康に、気をつけて。

2011年10月19日

Steve Jobsに捧ぐ ~学びの源泉とダイヤモンド・オンライン

2011.10.14に「学びの源泉」で『プレゼンテーション・クロージング(Jobsに捧ぐ)』をリリースしました。


テーマはプレゼンテーションでのクロージング(締め)です。
もともとこの原稿はマイクロソフトのWebマガジンでの『伝説のプレゼンターを目指せ!2』の最終回用に書かれたものでした。でも、「マイクロソフトのメディアでJobsを誉めるのもねえ」との声が出て(笑)、Jobsパートはお蔵入りしていたのでした。

もちろん彼のスタンフォード大学でのスピーチを取り上げたのですが、こまかいテクニックでなく特に最後の言葉(クロージング)に注目したものです。

Stay hungry. Stay foolish.

これは彼自身の言葉ではありません。
「Whole Earth Catalog」最終号の裏表紙に掲げられた、編集者から読者への、最後のメッセージでした。

そして彼はそれを3度、唱えます。
彼がそのクロージングで、本当に伝えたかったことは、なんなのでしょうか。


2011.10.18にダイヤモンド・オンラインの「構造的やわらか発想法」で『特別講 スティーブ・ジョブズは、本当は何に優れていたのか』を公開しました。
ダイヤモンド・オンライン側がプッシュしてくれたこともあり(巻頭での7つに選ばれた)、アクセス数は大いに伸び、なんと昨日のトップ3となりました。
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ここでは、彼のビジネス上の業績をすこし冷静に論考してみました。
きっかけはその数日前、NHKがJobsを特集して「まったく新しい製品をつくった」と連発していたからです。
そんなバカな。
私はiPodが最初に出たときの自分の感覚や世間の反応を良く覚えています。

それは「今更なんでこんな儲からない成熟市場に」でした。
デジタルオーディオプレイヤーでは日中韓のメーカーが死闘を繰り広げ、すでに儲からない商材へとなっていたのです。
そこに最後発として参入したのがApple社でした。iTunesも類似品がすでにありましたし、かつMacでしか使えない面倒なものだったのです。

しかしその醜いアヒルの子は、2年後大きく羽ばたきます。

この記事でも、最後はJobsのあの言葉です。
Stay hungry. Stay foolish。

スティーブ・ジョブズという稀代の英雄は、いったい何をどう成し遂げたのでしょう。
そして、彼のなした最大の成功とは一体なんでしょうか。

是非、お読みください。

2011年09月27日

ヒトが集うデザイン

箱もの行政という表現がある。 
箱(建物や建造物)だけつくって中身がない、初期投資だけして運営・メンテに手が回らない・・・。 

そんな公共投資のことを揶揄した言葉だ。 
日本中に、使われない○○ホールや××館は山ほどある。 
大抵は国の補助金がたんとつくから自治体は自分たちのお金だと思わない。 
ムダのし放題である。ああ、情けない・・・。 

そんな中でも、光る公共建築はある。 
そしてそれらは、確実に「ヒトが集う」場所となっている。 

いや、結果としての集客ではなく、最初から「ヒトが集う」とは何かを考え抜いているからこそのデザインだ。 
そして、デザインというものが、それを実現する力のあるものなのだ、ということを教えてくれる。 


ケース1:せんだいメディアテーク 

2001年、伊東豊雄の設計。 
外観は全面ガラス張りで、しかも床が極端に薄い。

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この建物は内部にチューブ上の構造が13本あり、それが建物を支え、配管を担っている。 
結果としてフロアには通常の柱が一切なく、広々とした有機的空間がつくり出されている。 
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この建物そのものが、ヒトが集う森であり、林なのだ。 

だからこそ、床は薄くあって欲しかった。チューブ(木の幹)を中核とするために。 
地元の造船会社である高橋工業の力を借りて、わずか41cm厚の床が実現した。 

今、せんだいメディアテークは、「町のリビング」のような場となっている、という。 

(今回の東日本大震災で被災したが、大きな被害はなく2ヶ月後には再開した) 


ケース2:馬見原橋(まみはらばし、熊本県) 

1995年、青木淳の設計。 
上下二重、唇の形をした橋。下橋が歩行者専用で幅7.5mの板張りのフロア。 

下橋の上には自動車等が通る幅5.8mの上橋があり、下橋への屋根ともなっている。
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つまり、下橋は長さ38m、幅6mの宴会場でもあるのだ。 

もともとの地元の要望は「人目を惹くモニュメント的なもの」だった。 
しかし建築家はそれを否定し、地元のヒトが集う場所としての橋、を提案した。 
大手設計事務所から独立したばかりの建築家の、勝負だった。 

彼はなんとかかんとか説得に成功し、馬見原橋は実現した。地元のための橋として。 

そして今、橋はふだんの憩いの場所として、そして地元のイベント会場として、ヒトを集めている。 
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優れたデザインは、ヒトを集められる。
 
問題は、それを実現するための技術であり、決断なのだ。

2011年09月25日

赤と石の聖戦 MotoGP

三谷家で、ロッシと言えば?
ロッシ。メッシじゃないですよ。

そう、それはもちろんGPライダーのバレンティーノ・ロッシ(Valentino Rossi)

間違いなく史上最高のライダーで、太陽王とすら称される。
バイク界の最高峰クラスで7度の世界チャンピオンとなり、通算勝利数も100を超える。

陽気で職人なイタリア人は、わが家の娘たちにもかなり人気である。
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私はケーブルテレビのG+で、世界選手権全戦を全クラス観戦している。
毎回、延べ約4時間。
録画なので飛ばすときもあるが、大体は食事中とかにつけっぱなしにして、全部見る。
125cc、Moto2、MotoGPと、3レースだ。

なので娘たちも
バレンティーノ・ロッシとか、ホルヘ・ロレンソとかダニィ・ペドロサとかの名前を言えたりする。
長身で攻撃的で髪の毛パンクのマルコ・シモンチェリは、「もじゃもじゃのヒト」だけど。

さて、今期、ロッシが絶不調である。
いや、それはきっと正確ではなくて、成績が悪い、が正しいのだろう。

彼はホンダ、ヤマハとワークスチームを渡り歩いて、今年から母国イタリアのドゥカティに移った。
もちろんイタリアでは大騒ぎだ。
『王者の帰還』として、ドゥカティは売上も株価も大きく伸びたほど。

なのに、今期は14戦して3位が最高。それも一度だけ。
ランキングは6位に沈んでいる。同僚のニッキー・ヘイデンが7位で、ドゥカティはさんざんだ。

原因は、なんだろう?

さまざまな分析がなされているが、今のところの結論は、
・ドゥカティ マシンの生来のハンドリングの難しさ
・新フレーム開発の失敗(カーボン製)
・ドゥカティマシンの特性と、ロッシの走法のアンマッチ
とされている。

要はライダーたちでなく、マシンのせいだと。

一方、2011年のチャンピオンとなりそうなのが、ホンダのケーシー・ストーナー(Casey Stoner)だ。
14戦して8勝。表彰台を逃したのは、ロッシにぶつけられてリタイアした1度だけという安定ぶりだ。
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追いすがる前年チャンピオンのロレンソとは59ポイント差。おそらく逃げ切るだろう。


さて、ホンダ・ヤマハからドゥカティに移って困っているバレンティーノ・ロッシと、ドゥカティからホンダに移って絶好調なケーシー・ストーナーの話であるがいきなり話は核心に入る。

ジャーナリストがストーナーに謝罪した、というのである。
テレビ解説の宮城光氏の話である。


昨年、ストーナーはドゥカティのハンドリングに問題があると言っていた。
ジャーナリストたちは「成績不振の言い訳だ」と取り合わなかった。
ストーナーはそれでも3勝をあげ、ポジションも年間4位を維持した。
今期、ロッシがドゥカティに苦しみ、同じくハンドリングに問題ありと言っている。

「キミの言っていたことを取り上げなかったのは間違いだった」とそのジャーナリストはストーナーに謝ったという。

ストーナーはホンダに移籍後、テスト走行でこう発言していた。
「ドゥカティとホンダを比べることはできない。まったく別物だから」
「ただとにかく、ホンダはスムーズだ。こんなにスムーズに操作できるのは驚きだ」

と。彼は今、最強の武器を得て、キャリアの頂点を疾走している。
時速340kmで。
彼の芸術的に美しいライディングを、しばらくは嘆息とともに見つめよう。
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王者ロッシは、これでは終われない。
彼の価値はそのライディングだけでなく、マシンの開発能力にもある。

これまで、ホンダを、そして移籍直後からヤマハを、チャンピオンマシンにしてきた。
的確に問題を伝え、方向性を出す。

ドゥカティでも、カーボン製のシャーシに異を唱え、アルミ製を導入させた。
エンジンも、年間6機という使用制限を超えてテストしている。
10秒後にピットスターというペナルティを覚悟してでも。
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今期中にそれらが奏功する保証はまったくないが、太陽王の沽券にかけてのマシン開発作業がレース上で進められている。

これもまた楽しみだ。


Rossi 赤と、Stoner 石を投げるヒト。
イタリアと、オーストラリアの至宝たちの戦いは続く。

おお、ロレンソとペドロサも忘れてはいけない。他クラスを席巻するスペイン人ライダーの頂点だ。
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今年もあと4戦。熱きバトルを期待する。
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2011年09月20日

最大の強みを、あえて手放す

昔、こんな思考実験をしたことがある。

最大の強みを手放して、戦略を立てよう。
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たとえば、アクセンチュアの最大の強みは「統合性」

他の会計系コンサルティング会社が各国でバラバラの運営しかできなかった時代に、Global One Firmを実現していた。
どの国で得たノウハウ(失敗も成功も)でも、瞬時に世界中でシェアされる。
ナレッジマネジメントシステムを使って、ヒトを派遣して、そして、メソドロジーに落として。

その強みを捨てる。
それは戦略に大きな自由度をもたらすことになる。

つまり組織をバラバラにしてもいいのだ。

思考実験だから、どうせなら極端にやろう。
考えたのはこんな戦略。

アクセンチュアの2番目の強みは人材。営業力もある強力なパートナーたちが世界に何千人もいる。
これを最大限に活かすために、一人1億円ずつ与えて、5年間放流する。
10人に1人、成功すればいい。
100人に1人、大成功すれば、いい。
5年後再合体したとき、いったいどんな新しいビジネスやノウハウが、組織には獲得されるのか!

もちろん、再合体できるかどうかは、問題だけどね。
名付けて「パートナー放流戦略」


明日は長岡市で授業と講演。
旭岡中学2年生向けの授業と、保護者、教職員向けの「地域連携フォーラム」での講演だ。

前者は「サバイバル」で決める力演習を90分かけてやる。
後者はどうしようか。

長岡市は「お手伝い運動」を市全体で推進されている。なので、依頼も「お手伝い至上主義でいこう!」についてである。
それはいい。

でも、いつもは必ず「発想力演習」か「決める力演習(サバイバル)」を前半にくっつける。
そして、後半、「生きる力」のお話しをする。
多くの保護者も、教員のみなさんも、あまり受けたことがないビジネススキル演習なので、非常に満足度は高い。
参加型のものなので、チームになった者同士が互いに知り合いになれることもGood。

この「ビジネススキル演習」は、元コンサルタントである私の、最大の強みと言ってよい。


でも今回は、演習をやらないことにする。
昨日の夜、そう決めた。

その強みを捨てて、「お手伝いと放牧型共育」の話だけで90分やってみる。
「お手伝い」に関心の高い長岡市だから、ということもある。
強みを捨てることで何が見えるか、見てみたい、というのもある。

弱みを強みに変える!ほど過激ではないけれど、強みに頼らないことで、自分の幅が広がる。
そのための「最大の強みを捨てる作戦」だ。


プレゼンテーションの準備は昨晩
したけれど、どう運営すべきか、今晩もう一度、じっくり考えてみよう。

2011年08月29日

ポスト ポウスト モスト モウスト

ポスト、という単語がある。

名詞では、郵便(物や局や箱)や職位のことであり
動詞では、投函する、貼り付ける、告示する、まっすぐ立てる、配置するという意味がある。
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だから、ポスター(告示物)、ポスティング(チラシ投函)サービス、マルチポスト(重複投稿)なんて言葉も。

さて、問題は発音である。

PostもPosterも、ポストでなくポウスト。
Mostもそうだが、オでなくはっきりオウなのだ。
なんでカタカナでポウストにしなかったんでしょうね。
(これは今のところ不明)

ここで、疑問。

ポウで始まる日本語はあるのか?

途中ならいくらでもある。
一方、憲法、梱包、連邦、連峰、蓮舫・・・

でも先頭はない。

なぜだろう?



それは多分、「ほ」が「ぽ」だったから。

昔は「ほ」と書いて、Poと発音していたから。


「は」の発音は歴史的に、
Pa(奈良時代以前)→Φa(奈良~平安末期)→Ha(江戸以降)
であったことがわかっている(『ハカる考動学』参照)

昔は、法、だってPouと発音していたのだ。それが全部、Houに変わってしまった。
Pouの音は語中でのみ、生き残った。
だから、先頭にPouはない。

いや、ポウだけでなく、パピプペポのどれも、外来語以外では、先頭には来ない
ピン芸人のピンだって、ポルトガル語のPintaなんだから。



ダイニングテーブルの一角でもくもく受験勉強の次女。
電子辞書に耳を近づける。
ちょっと離れた私には「?うすと」と聞こえる。

次女に尋ねる。「toast?、post?」
「postだよ。ポウスト」「なんでポストって書くのかねぇ」

てなところから始まった、一考察であった。
あ~、ちょっと面白かった。