美智子皇后のお歌によせて
いつも特に関心は無いのだが、たまたま1/12に行われた「歌会始」のニュースを見た。
天皇陛下
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと 見下ろす海は青く静まる
美智子皇后
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく 岸とふ文字を歳時記に見ず
と詠まれたという。
天皇のものは、ああ実直な方なのだな、と思った。
天皇の歌に評価など誰もしない。だから思ったそのままを詠めば良い。
ストレートで、でも海の怖さと深さを感じさせるものだった。
美智子皇后の歌は、初めはよくわからなかった。
すぐには上の句と下の句が、つながらない。
上の句:ずっと立って待ち続けている
下の句:「岸」は歳時記にない
「岸」がお題であることは知っていたが、それが歳時記にないからどうだと言うのだろう。でもそのときひらめいた。
上の句で「季」を「とき」と読ませているのはなぜだ?そうだ、季語だ!
歳時記にないとは季語ではないということであり、つまりは「どの季節であろうがいつでも」という意味なのだと。
津波に家族を流されたものは、岸に立ってその帰りを待ち続ける。
季節も年も関係なく、いつまでも。
きっとそういう意味なのだろうと直感した。
まさに美智子皇后の知性と感性と慈愛の結晶である。
実は結構、美智子皇后は好きである。
昔、『橋をかける』を読んだからだ。
国際児童図書評議会(IBBY)の名誉総裁である彼女は、1998年夏、ニューデリー大会の基調講演をビデオで行った。
大会のテーマは「子どもの本を通しての平和」
彼女はそれに対して「子ども時代の読書の思い出」と題して、幼少時からのそして母となってからの読書経験を語った。
そして最後子ども時代の読書の価値について、述べている。少し長いが、抜粋しよう。
「今振り返って、私にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう」
「何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました」
「それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました」
「読害は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした」
「悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって延びようとする心が養われることが大切だと思います」
「そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」
美智子皇后は語ります。この世界がいかに複雑で悲しみに満ちていて、苦しいものであるか。
そして読書こそが、それを理解し、それに耐えるための喜びを与え、違いを乗り越えて平和へとつながる「橋」をかけてくれるのだと。
書題の『橋をかける』はきっとここから来ているのでしょう。
この基調公演ビデオは、NHKによって収録され、放映されました。多分私はそれを見たのだと思います。
衝撃でした。
彼女がこの世界の困難さを、正面から受け止めていることに。
そして、本という私の最も好きなものにこそ、それを乗り越える力があるのだということに。
それからずっと隠れファン。
美智子さま、ご健康に、気をつけて。