カテゴリー: 03 生きる力
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カテゴリー: 03 生きる力
2011年05月23日
15家族以上が必要だった。現人類の東進物語
2011年05月20日
カタリバの今村久美さんから聞いたダイジな話
2011年04月27日
吹き抜けには登り綱!
2011年04月19日
京都の旅:嵯峨野児童館と嵐山
お招きいただき、京都の西、嵯峨野児童館にお邪魔した。
小学校の校庭の一部に建てられた、学童機能付きの児童館である。
午前中は保護者向けの活動をされ、午後は学童を含めた子ども向けの活動となる。
校庭を使えるので、子どもたちにとって最高の場であるとともに、施設も素晴らしく、遊びや学びに最適と感じた。
研修を行った大きな部屋には、スクリーンも備え付けられ、プロジェクターもしっかりしたモノ。
保護者のみなさん、職員の方々、また、児童館関係者のみなさん合わせて30名弱の研修だった。
1030から1230過ぎまで、「サバイバル」と「生きる力」をしっかりやってもらった。
参加者のノリは、存外、良かったように思う(笑)
2011年04月06日
駅のホームと1グラム
2011年03月23日
「お手伝い大賞」当選者5名発表!
『お手伝い至上主義でいこう!』発刊を記念してTwitter上で行われた『お手伝い大賞』の当選者の発表が、今日あった。(それもTwitter上)
yone1969さん
飼っていた蜜蜂を食べにくるスズメ蜂を魚すくい網で捕まえて足で潰すこと。蜜蜂は網の目から逃げるからスズメ蜂だけ捕獲が可。サンダルは厳禁。夏休みの手伝いでした。深追いは厳禁。蜜蜂を貪って我を忘れてる時にパカッと。しくじったらむやみやたらに動いてはいけません。 #otetsudai
凄いです。この世に「スズメ蜂を捕らえる」というお手伝いが存在するとは、知りませんでした。生きる力が、身につきますね・・・。
kobamuさん
我が家では、「家の仕事」と言ってます。3歳5歳の兄妹は、新聞取り、風呂洗い、布団干し、料理、カーテンの開け閉め、洗濯干し&たたみ、料理、畑仕事など、今は何でも手伝ってくれますが、後十数年続くかが課題。三谷さんの本読まなきゃ! #otetsudai
お互いライバル心を燃やしつつ、助け合ってやっている姿が目に浮かびます。最高ですね!
thomaxJaさん
生ごみを埋めるからって,庭に穴を掘るのが,一番記憶に残っています。 RT @President_Books: 【お手伝いコンテスト開催中!】子供のころ「私がやっていたちょっと面白いお 手伝い」を、 #otetsudai
庭に穴を掘る。なんだかちょっと宝探しのようでドキドキしますね。
mayomaxxさん
毎週火曜日、母の帰りが遅い日には、子ども3人でカレーをつくっていました。おいしいカレーを研究して、コーヒーの粉末入れたり、チョコ入れたり。本当にスパイスに入れてるカレー屋さんがあることを都会に出てから知って、感動したなあ。 #otetsudai
子どもたちの思い切った創意工夫が素晴らしい!私がやったのは精々、醤油を入れる、くらいでした。
norudarakeさん
小学生の頃おばあちゃんのお散歩に一緒に行くお手伝いをしてました。おばあちゃんは痴呆症だったので母が心配して。おばあちゃんは私の事を母だと思っていたのでいつも母の名前で呼ばれてました(笑)あの頃一緒に歩いた道は様変わりししまってちょっと寂しいですね #otetsudai
娘たちの投票では、これが一番でした!親子三代の心の繋がりが、見えますね。
2011年03月22日
3/22ダイヤモンドオンライン記事 追記: 釜石市の小中学生が無事だったわけ
本日アップされたダイヤモンドオンラインの記事である。
連載の流れを無視して、「特別講」として、今回の震災を論じている。
是非、ご覧あれ。
http://
「想定外」の津波が襲ったにもかかわらず、なぜ、釜石市の小中学生3000人は(ほぼ)全員、避難に成功したのか!
市民3万9千人のうち、死者行方不明者が1千人を超えるというのに。
昨日夜、当事者である群馬大学 片田教授がNHKに出られていた。
彼は災害情報学の専門家。
番組の最後で「力及ばずでした」と言われていたが、そんなことは決してない。
子どもたちや教員たちに、生きる力、想定外の状況においても生き残る力を与えたのは、彼や教育委員会の努力の賜、と思う。
想定外の事態が起きた時、ヒトの命を守るのはソフト(ヒト自身)なのだ。
詳細は、下記に!
http://bit.ly/fL5a4t
2011年03月19日
2011年03月11日
三女の合唱コン:成長、ということ
これは2010年10月の、お話。
中1の三女は、音楽好き。
ブラバンに入り、トロンボーンと格闘し、家でも鼻歌を欠かさない。
その彼女がクラス対抗合唱コンクールの指揮者になった。
誰もやらないなら私がやる、的な立候補で決まったらしい。
各クラスが自由曲と課題曲を歌う。
彼女は最初の自由曲の指揮を任された。
下馬評では三女のクラスが圧勝。
クラス仲も良く、3クラス中、一番まじめに練習に取り組んでいるのだから当然だ。
ところが当日、他の2クラスが驚異的な成長の成果を見せた。
一つにまとまったときの中学生はすごい。
やばい、このままだと負けるかも知れない!
2クラスの合唱を聴きながら、最後に歌う三女のクラスは危機感を高めていった。
そして相談を始める。どうしよう・・・。
ある子が言う。
「いまさら、何かを変えることはできない」
「だからみんなで指揮者をしっかり見よう!」
順番が来て、壇上に上がり、指揮台に登り、指揮棒をあげる。
三女の緊張はピークに達する。
指揮棒が振り下ろされ、ピアノが鳴り始める。そして・・・。
合唱コンが終わった後、家で三女は言っていた。
「みんなが、私の方を見てくれてた」
「全員だよ!」
彼女自身、指揮をしながら、全員の顔をしっかり見ていた、ということだ。
確かにちょっと振り急いでテンポが速くなったりしていたけれど、声も伴奏もぴったり合っていた。
素晴らしかったね。
以下、三女の合唱コン感想文より。
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先にB、C組が練習の時よりとてもすごい合唱をしていたことを忘れたかのようにA組は自分たちの歌を歌った。
結果、A組は優勝した。自由曲「大切なもの」のイントロが流れたとき、私は自然に涙が出た。自分でも驚いた。「優勝しても泣きはしないだろう」と心の中で思ってたから。でも、優勝を実感したその瞬間、素直に感動した。
でも、私は優勝した!!ということよりも、A組で練習して努力できたことが嬉しかった。
一人一人が一生けん命になって、一人一人が助け合ったこと。これは私の一生の思い出になると思う。そして小学生の頃の私にはわからなかった楽しさがわかった。
2011年03月01日