2011年05月23日

15家族以上が必要だった。現人類の東進物語

アフリカに発祥した人類は3~4度に渡って「出アフリカ」を果たした。

昔の言い方で言うところの原人として、旧人として、そして新人として。
新人=ホモサピエンスの元は、東アフリカにいたわずか数千人。
そのうちたった数百人が、紅海をアラビア半島に渡った。

陸ではなく、おそらくは海を渡ったと、推定されている。
それが6万年前のこと。

それが北上してヨーロッパに拡がり、東へ海沿いを伝ってアジアへ拡がった。

問題はその先だ。

それでは北アメリカにも、オーストラリアにも到達できない。
北アメリカとの間にはベーリング海が、オーストラリアにはアラフラ海があるからだ。

それを後押ししたのは、氷河期だった。
氷河期には陸氷が増えて海水面が下がる。5万年前の大氷河期にオーストラリアとニューギニア島も繋がった、1万年前にはベーリング海は陸橋となってシベリアと北アメリカが繋がった。

でも、そこを渡るのは、まったくもって簡単ではない。
2000キロのベーリング陸橋を超えてもそこには北アメリカを厚く覆う大氷床がその行く手を阻んだ。
ニューギニア島は繋がっても、そこまではまだ海が数百キロ存在していた。


でも、渡ったヒトたちがいた。
わずかな氷の回廊をとおり、そして船を作って。

その数は、いちどきに15家族以上。
9家族以下では遺伝的多様性が小さすぎ、すぐ消滅の憂き目に遭う。
安定できるのは15家族以上。

ということは、親戚関係でもなくそれだけの集団がまとまって行動していたということ。
異常に厳しい環境下を、東へと進むべく。

ゆえに、高度なコミュニケーション能力を持っていたのであろう、とも推測されている。

決して導くもののない、未知への旅を、いったいいくつの集団がチャレンジし、敗れ去ったのだろう。
そのときリーダーは、血縁以外のなにを糧に、東進を推進し続けたのだろうか。


われら現人類のほとんどは、紅海を越えて出アフリカを果たしたたった数百人の末裔であり、アメリカ大陸やオーストラリアの民(ネイティブアメリカン、アボリジニ)たちは、さらに少数の末裔であった。

未知へと挑む、その気概と力を、失ってはならない。