カテゴリー: 01 発想力

2010年09月07日

「見る目」から「見られる目」、「見せる目」へ

『ルークの冒険』を書く上で、改めて「目」に関して調べていた。
おっとそうそう、ハカる考動学の時、論文集を買ったんだった。

『読む目・読まれる目』東京大学出版会 2005年
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副題は
「視線理解の進化と発達の心理学」
という。

ここに小林洋美さん(現 九州大学 学術研究員)らによる
「コミュニケーション装置としての目」
が収録されている。

彼女が世界で初めて「サルの目」を測定したひとだ。(たぶん)

愛知県にある日本モンキーセンターで
「顕著な表情表出のない正面顔でカメラに視線が合っている画像を収集」
したのだが、その数、88種874個体というから、同センターにいるほとんどすべてのサルの正面顔写真を撮影したことになる。

いったいどうやって、漏れなくダブり無く、900頭弱の写真を撮ったのやら・・・


彼女が2002年に書いた論文の題名は
「「見る目」から「見せる目」へ」
だった。

測定したのはサルの白目の色、と目の縦横比。そして
 ・ヒトを除いてすべてのサルの白目は(事実上)黒い
 ・ヒトが例外的に横に開いた目を持っている
ことなどを証明した。

のみならず、各サルの大脳新皮質率(つまり知能が発達したサルかどうか)と比べることで、
・横に開いた目を持っているサルほど知能が発達している
ことを示した。

そして知能の発達したサルほど群れのサイズが大きい。
より強く安定するために。

しかしその群れを統率するために、どうコミュニケーションをとるのかが問題だった。
サルお得意の毛づくろい(グルーミング)だけでは、足りない。


そこで出てきたのが「ボーカル・グルーミング仮説」だった。
特別弱く、特別知能が発達した「ヒト」は、声や言葉によって群れの維持を図ったのだと。
これはおそらく正しい。

でも、それだけなのか。言葉の獲得までには、長い時間がかかる。
他に有効なコミュニケーション手段はなかったのか。


「「見る目」から「見せる目」へ」で示されたのが「ゲイズ・グルーミング仮説」だ。
白目を白くし、目を横長に開くことで、「視線」を際立たせ、コミュニケーション手段とする。

それは、見るための目ではなく、自分の視線を見せるための進化だ。
ゲイズ= gaze=見つめる

ある意味ではとても安上がりで、価値のある、かつ素早い進化だっただろう。
白目が白くなる突然変異が起こったとき、目は相手を見るものから相手に見られるものになり、見せるものとして強く機能し始めた。
それによる統率力の獲得・向上が図れ、群れの安定性が増し、その遺伝子の生き残る確率が格段に高くなる・・・


残念なのは、白目の色が化石では証明できないこと。
でも研究者はあきらめない。ヒトやサルの幼児期の発達段階を追うことで、それらをまた証明しようと、試みる。


研究者たちによる本を読んでいて、改めて、その探究心、そして発想力に感心した。
負けないよう、頑張りましょう。


論文の概要はこちらに。
http://www.ieice.org/jpn/books/kaishikiji/199906/19990601.html

2010年08月20日

さらば、マットレス

子どもたちが数年使ったマットレス。 

何年か前に、長女が数日敷きっぱなしにしていたら、寝汗のお陰でカビまで生えた・・・ 
シンジラレナイ。

なので、もう御役御免に。 



捨てると決まったら、次女が落書きを初め・・・ 

三女も便乗してこうなった。

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オモテウラ、イロイロ細かく、ストーリーもある。 

開くと大きな目玉が描いてあって「見たな・・・」とか(笑) 
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そしてこれは落書き後、粗大塵にしないために切り刻まれたマットレスの、最後の作品。次女作。
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2010年07月26日

ロウソク問題の解答例~『特別講義 コンサルタントの整理術』重版記念!

『特別講義  コンサルタントの整理術』の重版が刷り上がってきた。
これまでお買い上げいただいた皆さんのおかげであり、また、全国の書店さんが扱っていただいているお陰である。

さて、もう独自に調べられた方も多いだろうけれど、予告通り、こちらのHPでも「ロウソク問題」の解答例を示そう。
(以下は先日、「学びの源泉」で書いた内容と一部を除いて同じである)


#難しい問題、の存在

通常、日々取り組む作業テーマには、さまざまな難易度のものがある。

超簡単:誰でも出来るが、振る相手がいないか、暇つぶしでやるもの(大抵前者…のハズ)
超難問:全く解決策が見えないが、振る相手がいないか、一攫千金狙いでやるもの
難問:頑張れば出来そうだが、新しいアイデアと労力が掛かりそうなもの
簡単:労力は必要だが解決策は見えているもの

問題は、難問、の扱いだ。

超難問は基本的に避けるべきで、よほどの余裕があるときに取り組めばよい。でも、難問クラスにトライしないと、儲けたり稼いだりしたりはしにくい。
簡単な問題の解決で儲けられるほど、世の中は甘くない。いや、甘くなくなってきた、というのが正しい表現だろう。
でも、その扱いがみな、上手ではない。ただ頑張ったって、ダメなのだ。

#ドゥンカーのロウソク問題

心理学者のKarl Dunkerは、ある実験をした。被験者に図を見せて「マッチと箱一杯の画びょうがあります。テーブルに蝋がたれないようにロウソクを壁に取り付けてください」と尋ねたのだ。

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被験者たちはなかなか正解に辿り着けない。この問題は、ちょっとした発想の転換を必要とする(でも労力は要らない)、結構な難問なのだ。
この実験では、もう一枚の図が用意されている。大きな差はない。パーツは全て同じだ。
でもその図(下図のA)では、画びょうが箱の外に出ているものだ。テーブルの上にあるのは、マッチと画びょうとロウソクと、箱。
これで同じことを被験者に求める。「テーブルに蝋がたれないようにロウソクを壁に取り付けてください」
こうすると、被験者たちは易々と正解に辿り着く。(下図のB)

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もともとの問題が解けない理由は「機能的固着」のためだとされている。
人々は、画びょうが入っている箱の存在に気がつかない。気がついてもその真の価値に気がつかない。「箱」の機能を無意識に固定してしまっているからだ。画びょうの入れ物、と。

#グラックスバーグのロウソク問題

17年後、ニューヨーク大学 の大学院生だったグラックスバーグ氏は、同級生たちを集めて実験を行った。
「この『ロウソク問題 』を解いて欲しい」
示したのはドゥンカーのもともとの図だ。

< font class="Apple-style-span" style=" ">彼は被験者たちを2グループに分け、こう説明した。
・グループ1 「この問題をどれくらいの時間で解けるのか平均を知りたい」
・グループ2 「速く解けた人には5ドル払うよ。一番だったら20ドルだ」

片方には無償で問題を解かせ、片方には報酬を出して急かしたわけだ。被験者たちは校訓に従いこの難問に、屈せず立ち向かった。

グラックスバーグは、被験者たちが何分で正解に辿り着くかを、ハカっていった。
結果は、
・グループ1(無償) 平均7分
・グループ2(有償) 平均10.5分
だった。なんと金銭的報酬を約束された方が、3分半、5割も余計にかかったのだ!

#なぜ「ご褒美」が効かないのか

この結果は、こう説明されている。
「答が明らかでない問題の場合、解くには試行錯誤や発想の転換が必要になる」
「しかし、報酬や〆切りに急かされると、ヒトは一つの考えに固執し、離れようとしなくなる」
「結果的に、気軽に取り組んだ方が早く答に辿り着く」
と。

ドゥンカーがロウソク問題で機能的固着を示したのが、1945年、そしてグラックスバーグがこの実験で難問における報酬系の失敗を示したのが62年。もう50年近く前だ。
そしてまさに今、世の中は「答が明らかでない問題」に満ちている。

故に、「早めにやる」ことが大切なのだ。
〆切り間際の追い込みは、あなたの意欲を高めるかも知れないが、創造性は抑圧する。

また、チームを叱咤激励やアメとムチだけで引っ張ることもリスクがある。それも、チームの柔軟で自由な発想を阻害するからだ。
アメとムチでなく、楽しさと自由でこそ、難問に立ち向かえる。そういった自分とチームを作り上げよう!

2010年05月31日

5/30 名古屋で親子「ハカる考動学」セッション!

大人と子どもが一杯交じるというセッションを始めてやった。

(mindsetで中学生と大学生、はあるが)
ハカる考動学 出版記念 講演会&交流会 in 名古屋」である。


大人30人、小中学生5人、幼稚園以下5人、くらいかな。
一番活発に手を上げて、発表したのは10歳の真衣ちゃん。
発言内容も、とっても良かった。

乳児連れのご夫婦や若いご夫婦も何組か。
これからの子育てを考えておられるのだろう。研修後の立食パーティのとき、熱心に質問に来られた。

研修自体は「イロの不思議」と「カタチの不思議」を組み合わせたもの。
それだけで90分くらい掛かってしまう。
本当は、子育て系の話もしたかったが、致し方なし。

以下、主な感想。

「幼児(6才と4才)連れだったのですが、その子どもでもところどころ興味が持てる内容で、とても楽しく、子ども連れで良かったなと思いました」(34歳)
「気持ちのいいだまされ方でした。しかしだまされたでは終わりません」(32歳)
「いろんなアハ体験ができて面白かったです。そしてその先があってこそ意味のあるものになる…と実感しました」(32歳)
「面白い素材の発見とそれを繋げる構成が興味深かったです」(42歳)
「動いて考えることは大切と 再認識しました」(47歳)
そして、
「むっさ おもろ~(^_^)d 勉強になったぜお~( ´-`)」(10歳)


吉田シンさん、林さん(誰でもヒーロー)、ステキな機会をありがとう。

2010年05月19日

5/19 新渡戸文化小学校 アフタースクール授業

本日、中野区の新渡戸文化小学校は保護者会総会。
そのサポートとして子どもたちを放課後預かるお仕事を、放課後NPOアフタースクール、がお手伝いした。

子どもたちに提供されたプログラムは2つ。
・「紙飛行機を飛ばそう」by JALの皆さん!
・「イロとカタチの不思議」by 私

後者は4~6年生対象、但し希望者は3年生でも可とした。
結局、30人あまり(うち3年生2名)が午後、美術室に集まり、私たちと2時間を過ごした。
(友人の正田みわこさん、Indigo Blue代表の平澤慎也さんにもお手伝いいただいた。ありがとう!)

ぱらぱら子どもたちが集まってくる。必須アイテムであるはさみは持ってきたかな?
「持ってない!聞いてないもん」
それは、マズい。教室にあるなら取りに行ってきて~
「え~~~」
っと良いながらも、子どもたちは元気にダッシュε≡≡ヘ( ´∀`)ノ


まずは「イロの不思議」
手元の紙も使いながら、不思議を体感し、そして確かめる。触って動かして、曲げて折って…
「えーーっ、ホントだーーー」
あちこちで歓声が上がる。

そして中盤は「円柱を探せ」
大人向けならあっさり終わらせる、導入的ワークだが、今回はここにも山を作った。
まずは自分一人でじっと考える。円柱のモノはいくつ見つかるかな。
1分後に私がみんなに問う。いくつ見つかった?まずは1つ以上の人~。
結局、最高の子は7つ見つけていた。Good。
他にも数人「これも!」っていう手が挙がったね。

でもこれからだ。座っていないでみんな立とう。美術室の中を探検して、円柱のモノを見つけてみよう。2分でGo!
子どもたちは一斉に席を立ち、美術室の中を歩き回り、駆け回る。そしてまたあちこちで上がる歓声。何人かは私のところに来てそっと聞いていく。
「カーテンのところにあるヒモも円柱、って言って良いですか?」
もちろん!いいもの見つけたね。

席に戻ってもらって、再び私が問う。どんな円柱が見つかった?
「はいっ」一斉に挙がる手。10人以上が私を見つめる。
一瞬悩むがすぐ決断。よ~っし、じゃあ折角だから、みんなに一人ずつ聞いていこう。
「水道管」「ドアノブ」「コード」「マグネット」「壁時計の真ん中の軸」「換気扇の真ん中の穴」「彫像の腕の部分」
凄い。これは、なかなかの観察力、そして視点の良さだ。


後半、グラス演習と紙コップ演習をやる。
大人向けよりは難度を落とし、かつ、ちょっと誘導的ではあった。でも、ここでも子どもたちは驚くべき理解力と行動力を発揮した。

なかでも驚いたのは、一人の女の子が「グラスの最後のヒミツ」を言い当てたこと。
結構難しくて、なぜ?なぜ?を4回も繰り返した後のお話だから、それらを頭の中で繋げられないと、すぐには答えられない。多くの子どもたちが集中力を切らした後の最後の問いだったから、実はあんまり、期待していなかった。
なのにその子は、すっと手を上げて正解を!

自分の、大人の、傲慢さや思い込みを打ち砕かれた一瞬でもあった。


紙コップ演習での「行動」は、水を入れて確かめる、ということ。
ただ見ているだけではダメ。本当に、使って見なきゃ。幸い美術室には水道がいくつか引かれていたのだが、子どもたちは全員、水道に列んで水をつぎ、それをそろそろ机に持ち帰る。
ここが小学生の良いところ。中学生や高校生、そして大人たちのような衒(てら)いがない。行動してみよう、という呼びかけには非常に素直に、嬉々として応じる。
そして色々なことを発見していく。「わかった!」「私は2つ見つけた」「4つ!」
え、そんなに?


終わった後、アンケートに感想や質問を書いてもらった。
「少し難しかったけど、楽しかった!」というものが幾つか。
「もっといろんなふしぎをしりたいです」「なぜ錯覚がおきるのか、もっと知りたい」も何人も。
そして「また受けたいです」も。

うん、また、会おう。ネタ作っておくね~


アンケートの数値評価の軸は「面白さ」。「役に立つ」とか「満足」では、ない。
その5段階評価で、全体として、は平均4.9。
30人中、5(とても面白かった)が26人、4(まあまあ面白かった)が4人。3年生は一人が5で一人が4。
よし、もう一歩、頑張ろう。

2010年05月14日

5/19 新渡戸文化学園 小学校でワークショップ

5/19午後は、理事をやっている「放課後NPO アフタースクール」のお手伝い。 

新渡戸文化学園は歴史ある学校だ。 
2008年、80年間親しんだ東京文化学園から名前を変え、小学校は杉並区和田から中野区の本校に移転した。 

その保護者会に合わせての、子ども向けイベント、である。 
まあ、お子さま預かりサービス、でもある。 

4~6年生数十名向けに90分の授業をやる。(1330~) 

テーマは「イロの不思議・カタチの不思議」としているが、さてさて。 

カタチの不思議の小学生版を、もう一回、考え直そうかな。 
特にコップや紙コップは、流石にそのままでは難しい。 

思案のしどころである。 

例えば

・コップの謎は、作る人チーム、売る人チーム、使う人チーム等に分かれて「便利なカタチ」を考えてもらう 
・紙コップは「フリンジの謎」にだけフォーカスする 

ことで、4~6年生にも楽しめるものになるのでは、ないかなぁ。 

2010年05月13日

慶應MCC 夕学五十講 w/ ゴッホとサイン会

夕学五十講、2001年から続いていると言うことを、初めて知った。 
今年が10年目だから、誰が1000講目になるのだろうか。(初年度は75講やったらしい) 

さて、今日は丸ビルに30分前には到着。 

ちょっとウロウロしたら、1階ロビーで「ゴッホ自画像」発見。

SA3C0544.JPG  SA3C0546.JPG  SA3C0545.JPG


オンワードが新作シャツで「描いた」ものだ。
昨日夕刊で見たけれど、ここにあったのね。

これを見ながら透明エレベーターに乗って会場である7階へ。

受付の方に、
「受付はまだです。6時10分からです」
と言われる。

「講師です」
と答える。びっくりされる。
ま、いつものコトだけれど(笑)

打ち合わせの後、PCのセッティング。 
日本中のサテライトに飛ばすこともあって、そちらとの画面設定が上手く行かず、直前までばたばたと。 

それも無事終わり、1830からスタート。 

出だし、「イロの不思議」で、あまりにもみなさん真剣に(かつ静寂の下に)取り組んでいるので、ちょっと心配になる。 
これは発想力の講義。黙ってじっとしていても、ダメよ。 

後半、グラスのヒミツに入って、チームディスカッションをやると、流石にみな沸いてくる。 
がやがや、ざわざわ。 

最後の紙コップ演習では、200人による、ざくざく、コンコンも混じって、良い感じに。 

そうそう、こうでなくちゃ。 


最後は発想力強化法に引っ掛けて、三谷家教育論の一部を(笑) 
やはり「ヒマと貧乏」を与えないと。 

そしてそれは「自由と制限」の与え方という、人材教育の根本問題でもある。 


講義90分が105分に伸び、30分のQ&Aが15分に。 
質問は、結構、いいモノだった。 
・本の読み方、捨て方 
・発想の源、育て方 
等々、今日の学びを、自分のものにしようという姿勢が伺えた。 


講義後、「サイン会」 

かなり恥ずかしいが、本屋さんが来て売っていただいたお陰もあり、25名ほどとお話しすることが出来た。 
サインしながら名刺交換と2~3言、言葉を交わす。 

それだけでも、みなさんの感じがつかめて良かった。 

他にもtwitterで呟かれた、こんな感想も。 
・ありがとうございましたー、自分の頭のかたさにちょっと絶望しました!!(爆) 
・エクササイズが多く、楽しみながらエッセンスを学べました。(サテライト先より) 


さて、次は 
・5/15 アカデミーヒルズ「ハカる考動学」の初研修 
・5/19 新渡戸文化学園 4~6年生向けワークショップ(?) 
だ! 

2010年04月28日

三女の涙と34年ぶりの納得

学校公開ウイークで、中一の三女が苦手にしている数学の授業参観を見てきてもらった。

正負の数字の、加算と減算についての授業だったらしい。

そこで、彼女一人が最後まで課題が解けずにいた。

そして授業後、一人 泣いていた、と。


少人数クラスでもあり、先生たちの教え方やフォローの仕方自体に問題があるわけでは無い。普通の教え方をし、個別に様子も見てくれる。

帰ってから本人に、何がうまくできなかったのか聞いたところ、根本的なところの納得がいっていなかったようだった。

例えば、

・5-(-3)だと、-と-を両方取って+にしろ、と言う
・じゃあ、5+(+3)だと、+と+を両方取って、どうするのか。なぜ+なのか?
・(-3)+3だと、先頭だから括弧は取って良いという。括弧って取ったり付けたり、なんなんだ?

いちいちそういうことがよく分かんなくて、でも言われたとおりにやろうとして、考え込み…


でもその話を聞いて、初めて気がついた。

演算子である「+」「-」と、数字の正負を表す記号である「+」「-」が、全く同じであることのおかしさを。

社会に出ると、負の符号が△であったりもする。
なのになぜ、一般の数学は、数学らしからぬ、こんな混同を許したのだろう。
せめて演算子のときはタス、ヒクとのみ読ませるとかなかったもんかねぇ。


以下、三女向けに考えた、説明。

演算子としての「+」はタス君。この子は正の向きに歩いて行く。
何歩歩くかは、その後ろの数字が決める。正だったらそのまま、負だったら後ろ向きに。

だから
 ・ +3だったら、正の方向に3歩。
 ・ +(-3)だったら、正の方を向きながらも、後ろに3歩!

演算子としての「-」はヒク君。この子は負の向きに歩いて行く。
 ・ -3だったら、負の向きに3歩。
 ・ -(-3)だったら、負の向きを向きながら、後ろ、つまり正の方へ3歩。

よって、
+(-3)と-3は同じ。+3と-(-3)は同じ。


明日、これで伝えてみよう。

こんなことを考えていると、きっとただの計算ドリルはスゴく遅くなる。
でもね、それはそれで素晴らしい。

演算子としての+-と、数字の正負号である+-の混同に違和感を覚えるなんて、なんて素晴らしいこと。
そのままでもいい。負けるな、ガンバレ!


そして、私自身、中学1年のときの違和感が、今やっと解けた。
ありがとう。

2010年04月15日

『ハカる考動学』本日、発刊! 「はじめに」から

いよいよ今日4/15、書店さんに本が列び始める。


いや、通常だとなぜか出荷および店頭陳列日と、本の公式の(奥付に書いてある)「発行日」はずれているので、ややこしいのだが、ディスカヴァーでは一致しているので文句なく今日が「新刊発行の日」である。

発売日と発行日のズレは雑誌で顕著であるが、本でも通常1~2週間はある。
例えば『発想の視点力』では、8/12発売だが発行日は8/20。8日サバを読んでいる。
みな若く見せたいわけだ(笑)


さて、折角なので本の中から少し、紹介しよう。
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はじめに
(前略)

2010年4月、脚本家の倉本聰さんが、26年間続けた「富良野塾」を閉じた。
「非力だった」「結果はあまり、出なかった」。75歳の決断だった。

彼は、言う。
今の若者に一番足りないのは「想像力」
情報はネットから入ってくるから自分で考えない。1次情報から類推して考えたり、新しいものを編み出したりすることがない。
「優しさごっこ」の中で、親、教師、子ども、の劣化のスパイラルが回ってしまっている、と。
社会として、これは最も憂うべきコトの一つだろう。
(中略)
一方、個人や組織として開き直ってしまえば、これは大きな機会(オポチュニティ)だ。
みなが当たり前のことをやれなくなってきている。自分で考え、既存の情報をハカり直し、そこから新しい意味を見いだすことが出来なくなってきている。

だったら、その力をちゃんとつけよう。
「ハカる力」を持つだけで、人生や組織の運命は大きく変わるだろう。

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『ハカる考動学』は、そんなことを目指した本である。

ご一読あれ。

2010年04月02日

速報『ハカる考動学』 出来た!

今、ディスカヴァーから届いた。

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寄藤文平さんデザインのカバーは、なんとホログラフィックなのだ。
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動かすと、虹色が揺れる。


これが店頭に列ぶのは4/15以降。


どきどき、わくわく。