カテゴリー: 11 一般的考察

2011年04月09日

反自粛戦線を! その二~分業の力

ヒトがヒトたる所以は、その高度な「分業」能力にある。

分業こそが、われわれホモサピエンスと、ネアンデルタール人(約3万年前に絶滅)との決定的な差だとも言われている。

ネアンデルタール人に分業という概念はなく、最も重要でかつ危険な作業である狩猟に、女性も子どもも参加していたことがわかっている。
男性と同じく腕や頭の骨折痕が多いのだ。

しかし同時期を生きたホモサピエンスでは、女性や子どもは小動物の狩りか木の実・植物の採集という分業が成り立っていた。
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これにより、集団全体としての「生産性」が高まった。
何よりも貴重な子どもたちを生み育てる仕組みができた。集団は大型化し、さらに分業が進んでいった ものと推定されている。


現代社会ではそういった分業がはるかに進み、相互の福祉や保険、リスク分散にまで至っている。
そうすることで、一個人で何もかも対応しなくて済む。得意なことにじっくり取り組める。その技を磨き、生産性を上げられる。

ヒト一人一人はもちろん確固とした人格を持った独立体だが、経済活動を見たとき、それは全体として人体のようである。ヒト一人一人は細胞だ。
細胞は分化し、器官を成り立たせているが、同時に血管(物流)や神経(情報ネットワーク)で縦横に繋がっている。

そして、右手がひどく傷んだとき、残る全体がやるべきコトは何だろう?

それは、傷んだ右手のために諸活動を自粛して弔意を示すことでは断じてなく、個々器官の役割や得意分野に打ち込むことだ。
白血球は救急に現地に走ればいいし、骨髄は血液の増産に励めばよい。
肺は呼吸を「自粛」することなく、全細胞が精一杯活動できるよう頑張ればよい。


心を通わせることと、行動とを混同してはならない。
自分たちがヒトであることを再認識し、この高度な分業の恩恵をフルに活用せねば、それこそ破滅への道である。


・「ハナサケ ニッポン!」にサンドウィッチマン、登場
http://bit.ly/eo6Rxf

・現生人類における分業の発生について
http://bit.ly/hX0ES9

2011年04月07日

反自粛戦線を! その一~空気と戦う

みんな、じつはそんなに感じていないかも知れない。

でも、殆どのヒトが実は「自粛」を実行しており、その結果日本の「経済的破綻」の一翼を担ってしまっている


今回の東日本大震災で失われた道路や建物、設備などの総額は16~25兆円という。
また、生産設備等の被害によりGDPを1~3兆円引き下げると 。(4/23発表の政府試算)

まことに巨大な数字ではあるが、前者は、国富(ストック)の1%弱であり、後者はGDP(フロー)の0.5%弱である。

これで日本が滅びるわけがないし、経済的破綻に直結するわけがない。


それよりコワイのは、「自粛」という「空気」による全体的な経済停滞である。
国民みんなが縮こまって「外食を半分」にすれば、24兆円の半分、12兆円が吹き飛んで100万人以上の雇用 が失われる。

そこまで行かずとも、「毎月外食に行っていたのを1回止める」だけで8%減、2兆円の減少となるのだ。

我が国の500兆円に上るGDPの6割は直接個人消費に支えられている。
ここが消費を8%「自粛」すれば、それはほぼそのまま雇用や給与の減少となり、企業収益や法人税の減少となる。

それこそ破滅への道である。

今こそ個々人が、「反自粛!」の気概を持って、「自粛」という「空気」と戦わなくてはならない、と信じる。


・ユニクロ 柳井さん「自粛の程度がひどすぎる
http://bit.ly/ficUar

・東北の酒蔵 南部美人「義援金よりお花見を!」「自粛は経済的な二次被害」
http://bit.ly/heP3rW

2011年02月17日

月と星:良い目を持つと いうこと

プリンターのインクが切れたので、高島屋SCに夕方、買い物に行った。 

帰りに交差点で出会った、ベビーカー母子。 
子どもは2歳くらいかなあ。 

信号待ちの間に、その子が突然大きな声を上げた。 

「おかあさん、月だよ!!」 
お母さんもすぐ「ほんとだね」「いつも一番に見つけてエライね!!」 
そぷかあ、この家でも「月を最初に見つける競争」をやっているのね。 
いいことだ。 うんうん。


などと思っていたら、間髪入れず今度は
「一番星だ!」 


えっ、星も出ていた? 

いや、出ているに決まっているのだけれど、明るい交差点で、そこまでははっきり見えない。 
ちらりと横目でその子の顔の方向を確かめて、見てみれば確かにそこに星が。 

うーっむ、あれを見つけるとは・・・。 


そこですかさずその女の子が叫ぶ。 
「二番星も見つけたっ!」 

これまた自分ではすぐに見つけられず、彼女の顔の方向で何とか見つける。 

参りました。 
星を見つける競争も、これから取り入れましょう・・・。 


ホントに目の良い子。 
きっとその目が、あなたに色々な人生の幸福をもたらしてくれるよ。

2011年01月25日

1/25 日韓対決。続けることの価値を細貝と本田圭佑に見た!

本田圭佑はやはりすごかった。すばらしいパス、センスとスピード。 

1-1で迎えた延長前半7分、彼のスルーパスに反応した岡崎が韓国ディフェンスのファールを誘い、PKを得た。 
もちろんキッカーは、本田。 

しかし彼の真ん中目を狙ったシュートはミスとなり、(向かって)左に飛んだキーパーの足に当たる。 
ボールが跳ね返って転がるけれど、本田のフォローは間に合わない。 

そのとき、もの凄いスピードで現れ、左脚一閃、ゴールを決めたのが細貝。 
香川に代わって87分に投入された途中出場の彼は、長い助走をつけて、本田がシュートを放つとともに、ペナルティエリア内に突入していたのだ。 


でもそれは偶然でもセンスでも思いつきでもなかった。 
PK戦を制したあとのインタビューで、彼は言った。 

「個人的にもこぼれ球はしっかり狙っていた」 
「昔からPKのときには必ず狙うようにしている」 

と。その何年にもわたる積み重ねがあったから、あの絶妙の突入ができたのだろう。 
そしてその何百回の繰り返しの果てに、代表戦のPKで自分の前に玉が来るという機会を得たのだろう。 


「(アップのために)一度もイスに座ることなく、ずっと動き続けていた」 
「スタメンで出ることがないとなれば、途中から出るしかないので、与えられた時間で与えられた役割をしっかり果たそうと思っていた」 

人事を尽くすものにのみ、天命は訪れる。 


本田は延長戦後の、PK戦で先鋒をつとめ、渾身のシュートでチームに勢いをつけた。 
この意地と気合いもまた、本田圭佑を本田たらしめてきた、「継続」であろう。 

これでこそプロ。これでこそ日本代表。 

あー、楽しかった。次も、応援しようっと。

2010年12月31日

ふりかえらない

みなの日記を見て、思った。 

ふりかえり、かあ。 

今まで一生の中で、1年を振り返ったことが、全くない・・・。 

いや、昔あったのかもしれないが、忘れて思い出せない。 
かつ、最近は少なくとも振り返ったことがない。 

忘れっぽいのもあるが、そもそもプランがないから、振り返っても(チェック)意味がないのだろう。 
本とかでも「PDCA」は重要、とか書いているのにヒドイ話である。 

日常生活においてのPDCAは、でも、かなりやっているほうだろう。 
だめなことはすぐに直す。それは即時に行われる。 

しかし、年間計画や中期計画を立てないから、大きな振り返りが、ない。 


反省はあるが、後悔はない。 
機会はとるが、計画はない。 

今は見つめるが、過去は見ない。 

ただ、走り続けるだけ。 
来年も、また。 
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2010年12月07日

富士ゼロックスでセッション

10名あまりのナレッジワーカーによる、セッションが行われた。


9時から3時間余、とっても刺激的で有意義な対話だった。

ここからどんなビジネスの種生まれるかは、主催者の責任(笑)
ただ、私個人には確実にプラスとなった会だった。

如何に自分が狭い中で生きているのか気がつかされるし、高いレベル(論理より感性の面)での議論を楽しめる。

お題は「Contactivity」
ゼロックスがContact  + Activityを組み合わせた造語らしい。
ニホンゴでは「つながっている」と意味づけされていた。

「つながる」ではなく、「つながっている」
ブロードバンド常時接続、と言うわけである。


私がセッションに提起したのはしかし、そのプラス面、マイナス面両方だ。
そのために最初に提供したのは、3つのアニメ題名。

・ガンダム
・エヴァンゲリオン
・蒼穹のファフナー

ガンダムは言わずとしれた、New Type。宙でも人はつながれる!

残り二つはある意味同じテーマだ。それは、つながることによる「自我境界の消失」なのだ

おっと眠くなってきたので、また明日。


2010年11月27日

The innovations from weak ties

『お手伝い本』のために、いろいろ調べ物をしている。

気が向くと、というか、詰まると、というか。
まあ、驚くほどいろいろ面白いことがわかる。

昨日調べたのは「つながり」について。

結局、原稿には入らなかったが、とても面白かったのが以下の研究。

—————————————————————-
さかのぼって70年、やはりスタンフォード大学のグラノヴェッター博士(同時は学生)は、就職についての別の調査を行いました。その結果は、

・今の職は「友人」からでなく「知人」からの紹介だ、が、「友人」から、より多い
・会う頻度が低い「弱いつながり」が、職紹介の83%を占める

これもまた、キャリアが幅広いつながりの中から生まれてくることを示したものです。
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彼はこれを「弱い紐帯の強み」”The strength of weak ties” と名付け、社会学における地位を築いた。

強い狭いつながりではなく、弱い幅広いつながりこそがジャンプを生む、ということを、なんと40年前に示していたのだ。

ロングテール、とかと似てないだろうか?


昨日、KIT虎ノ門の論文中間発表会で、三宅さんがイノベーションとツイッター的ツールの効用について調べると発表した。
そこでぴんと来た。

私はTwitterの独自性は「弱いつながり」の発明にあると思っている。
つまり「フォロー」の概念だ。
相互承認によるマイミクでも、なんでもなく、ただそのヒトのつぶやきを読むように設定する「フォロー」
相手に連絡は行くし、相手は拒否もできるが、基本、無承認の弱いつながりだ。
しかもそれがRT(Retweet)により増殖する。

そういう弱いつながりは、これまでは発展・維持しづらかった。
でもITがそれをTwitterというカタチで可能にしたのだ。


そしてそれは、Innovationすらを生むのかも知れない。
The strength of weak tiesの1つとしての、

The innovations from weak ties、弱いつながりからの革新、

だ。
例えばこんな調査をしてみたらどうだろう。

あなたの着想は、どこから得ましたか?
1. ひとりで
2. 友人とのコミュニケーションから
3. 知人とのコミュニケーションから
4. 繋人(Twitterでつながっているだけの人)とのコミュニケーションから

3.4.が多いと、面白い。


アメリカでは頭打ちになったTwitter利用が、日本ではまだ伸びているという。
参加人数も、1人当たりtweet数も。

日本人はこういうショートメッセージを書くことが好きだ。
きっと得意でもある。俳句の文化、ポケベル現象を見ても明らかなように。

三宅さんの研究成果を、待とう。
私もなんか、調べてみるかな。

2010年11月21日

最密充填構造

高校の理科で習った言葉。
最密充填構造 さいみつじゅうてんこうぞう
ある物体を、空間にもっとも詰め込むのにどう組み合わせればいいのか。
それが達成されたときの、組み合わせ方をそう呼ぶ。
「同じ大きさ」の「球体」であれば、面心立方格子、が、最密充填構造となる(と思われているが厳密な証明はまだされていないらしい)。
面心立方格子とは、サイコロの各頂点および各面の中心に、○がある構造である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%96%B9%E6%9C%80%E5%AF%86%E5%85%85%E5%A1%AB%E6%A7%8B%E9%80%A0
空間充填率は74%。
それ以上を詰め込むことはできない。
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そんなことをちょっと思い出させるくらい、一昨日昨日今日は忙しかった。
金曜: 早朝東京を出て金沢で1日 IBM北信越会議
土曜: 早朝金沢を出て東京で講義と芦花小打ち合わせとKIT説明会
日曜: 早朝東京を出て大阪でグロービス

2010年06月29日

MUJIの誕生と崩壊と再生と

まずはこちらの記事から。


無印良品(株式会社良品計画)には、結構 思い入れがある。 

ハカる考動学』でも実例を紹介しているが、実は、『crmマーケティング戦略』でも取り上げている。 

もちろん、もともと西友の一ブランドだった頃から知っていて、その栄枯盛衰を見てきた。 

英語のNon-branded goods(ノーブランド品)を、無印良品、と「直訳」したセンス。 
わけ あって、安い。いう秀逸なるコンセプト。 
シンプルなデザインと店舗スタイル。 
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でも成功するにつれ、店舗は多様化しチェーン展開の基本である統一的オペレーションを無視した。 
ブランドとしての既存への反抗心が、一律の運営を拒んだのかも知れない。 
低価格をうたうことは出来なくなるなかで、その存在意義も無くなっていった。 

本当は、凄い力を持っているのに。 


2001年、社長についた松井忠三氏は、店舗フォーマットを統一し、マニュアルを整備し、ブランドコンセプトを明確にした。 

それはすなわち、既存の企画に合わない店舗を閉鎖し、新規事業から撤退し、不良在庫を焼き、商品を絞り込む、「捨てる」作業だっただろう。 

そして無印良品は、復活した。 


その後、良品計画がネットで始めた「共創型商品開発」は、そのさらなる進化の現れだった。 

顧客を巻き込み、その智恵をうまく借りて、良い商品を効率よく世の中に出していく。 
日用品で、そして、住宅で! 
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http://www.muji.net/ie/ 


これからも、注視していきたい。

2010年06月03日

なぜ今、カワイイ、が流行るのか?

日本人はとにかく、カワイイ物好きである。 

それ自体はいいのだが、最近はその対象が、人間全てに及んできている。 
ペンギンがカワイイのはともかく、なんで高校生や大人まで、全部カワイくないとダメなのか。 


カワイイとはそもそもどういった感情なのだろうか。 

古典に学べば、最高にカワイイ存在は「小さきもの」である。 

元来、小さいモノはなんだってカワイイのだ。 
ヒトは、小さきもの、つまり幼いものを見たら「良い!」と自動的に思うように、できているのだ。 

それはつまり、カワイイという感情が、生後間もないものを見たときに、それを保護しようとする自動の脳内プログラムみたいなものだということだ。 


その陰には、ヒトの幼体が、生物種としては極端に弱いと言うことがある。 
(他にもパンダやカンガルーもそう) 
仕方ない。だってヒトはみんな(生物的には)未熟児で生まれているのだ。 

頭脳を発達させすぎたため、胎児の頭が母体の骨盤を通らなくなり、外にそのまま出たら死んじゃうような状態(未熟児)で出産するしかなくなった。他の多くの動物のように、生まれ落ちたらすぐ立ち上がって、えさを食べたり母乳を探したりなんて、できない。 

だからヒトという種を存続させるには「幼体保護」の特別プログラムが必要だった。 
・幼体は生命の危険を感じたら、泣いて知らせる 
・成体は幼体を優先的に助ける 

これらを動かすための心の仕組み(=感情)が、 
・幼体→「不快」 
・成体→「カワイイ」 
だったのだ(多分)。 


小さきもの、幼いもの、弱いものを大人が助けるための心のプログラムが「カワイイ」なのだ。 

ではなぜ、今、日本人はなんでもかんでも互いにカワイイを連発するのか 
子ども同士、大人同士、みんなだ。 

それはきっと、「助けて」「守って」という無邪気な叫びなのだろう。 
責任を果たす側でなく、権利だけを主張する側でいたいという願望なのだろう。 
大人である(大人になる)ことの放棄なのだろう。 

「守ってあげたい!」ではなく「守ってもらうっていいよね」という確認の叫びなのだろう。 



ちょっと極論だが、そんなことをふと、思った。 



ちなみに、なぜ女性の寿命が長いのか、についても上記の理由から来る「おばあちゃん仮説」というものがある。これはまた今度。