善意溢れる独裁の存在と影響
雍正帝(ようせいてい)のNHK番組を見た。
雍正帝は 清の第5代皇帝。1678年に第四王子として生まれ育ち、父 康熙帝(こうきてい)の没後、45歳で即位した。
中国の皇帝制は独裁を前提とする。
中でも雍正帝は、全国の数百人の地場の役人たちと直接手紙を交わして叱り、褒めて、まじめに仕事に励ませた。官僚を中抜きして直轄組織をつくり意思決定のスピードを何十倍にも上げた。多くの民たちが、自分たちをちゃんと見てくれている雍正帝を慕った。
その激務によって雍正帝の睡眠時間は4時間を切り、13年の治政の後、過労で倒れて58歳で亡くなった。
彼の父は国に700万両の赤字を残したが、節約に励み産業を興した彼は3,000万両の黒字を残した。なんと素晴らしい。
でも、こういった「素晴らしき独裁」に慣れた民たちは、以降も独裁制を是として受け容れることになった。
過労で死んだ皇帝の後を継いだのは、やはりその第四王子だった。幼少時からその人格、才を認められ25歳で即位。その後60年の長きにわたり帝位を守り独裁を続け、多くの業績を遺した。10回にわたる外征「十全武功」による版図拡大、民衆へのたびたびの減税、国内外古今の良書を集め保存した「四庫全書」・・・・・・。
彼の名は高宗 乾隆帝(けんりゅうてい)。祖父から三代続く治世は「三世の春」と称された。
しかしその春は長すぎた。10回もの外征により国庫は底をつき、政治は乾隆帝の信を得た奸臣へションに私物化され、宮廷内外の規律は失われた。乾隆帝は85歳での退位後も院政を敷き、権力を手放さなさず老害を撒き散らした。彼は晩節を汚しただけでなく、清王朝崩壊への道を開いてしまったのだ。
「素晴らしき独裁」に慣れていた民たちには、この独裁制を止めることができなかった。
善意に溢れた独裁は、結果として悪意となる。
難しいね。