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第11号 旅に学ぶ-日本(沖縄・与論編)

浪人生活で学んだ「教育技術」と「読書巾」

1981年4月、浪人生となって東京に引っ越してきた私を待っていたものは「改築直後」ではなく「改築中」の下宿屋だった。

ドアのガラスも、壁のクロスも、備え付けのベッドもなく、おが屑が散らばるガランとした部屋。呆然(ぼうぜん)とする私に、下宿屋のオバさんはサラリと「ごめんねー、間に合わなかったの」「今日はどこかに泊まってきて」。

敷金も家賃も振り込み済みで、親しい親戚もおらず、他に住む場所のあてなどない。どこかに泊まれと言われてもホテルの場所の一つも知らない。

軽い絶望感と共に、深夜の渋谷を1人さまよい、ボーリング場の近くのビジネスホテルに潜り込んだ。暗い部屋をボーリング場のネオンが照らす。

逃げる術はなかったが、逃げ出したくなった。

でも本当に逃げなくて良かった。それから浪人生としてのマジメで不思議な1年が始まる。

そして、大きな世界が拡がっていく。


浪人時代の収穫は、これら奇矯な友人だけでなく、実はもう2つある。それは「教育」と「読書」だ。

毎日毎日、丸ノ内線に乗ってお茶の水の駿台に通う規則的な生活。欠席は大雪の日の2日間だけ。高校を全部で30日間サボった私にしては驚異の出席率だ。

で、午前中はまじめに授業を受ける。ここでの学びが1つ。そして午後は全てサボって友人と本屋(三省堂)に行く。ここでの学びがもう1つ。


授業の風景はこんな感じだ。

4人座りの長机が教室にぎっしり。しかも授業開始直前になると、他クラスの人間がどんどん入ってきて全ての通路、余白を埋める。教壇に教科書を拡げ講師を見上げる強者もいる。

国立理系のトップクラスであった我がクラスには、駿台きっての講師陣が集められていたために、それを聴講すべく人が集まっていたのだ。(もちろん規則違反)

しかし確かに、その価値はあった。講師陣は何れも確固とした教育の技と方法論を持ち、かつ人格者であった。

今でも忘れられない言葉がある。

「君たちは現役生にセンスで負けたんだ」

「だから、センスでなく知識と解法で勝つしかない。これから1年、徹底的に解き方を教える。それで絶対勝てるから」

なんという独善的自信。我々は反発する余裕もなく、逆にある意味深く安堵した。

彼(数学担当)はその言葉通り、全ての問題に対し複数の解法を提示した。「戦略1 座標と方程式で解く」「戦術1 直交座標を使う」「戦術1-1 直交座標の原点をずらす」・・・「戦略2 ベクトルで解く」・・・等々。

これ自体が新鮮だった。

1つの問いに答えは1つ。でも解法やアプローチは無限にある。我々が学ぶモノの本質は全て繋がっているのだ。

それまで、ある意味、自学自習だった私にとって、教わることの楽しみを知った最初の経験だった。授業は楽しくできる、教えることは総合的な技術なのだ。


もう1つは読書の巾。

読書の中で学んだことは、この連載の前半で述べたが、読書そのものの巾を拡げて行ったのはこの浪人時代なのだ。

なにしろヒマだったので(流石に一日15時間も勉強なんてしていられない)、手当たり次第に本(お金はないので文庫本中心)を読んだ。

その手始めが司馬遼太郎の「竜馬がゆく(全8巻)」だった。

ヒマでなければ、浪人してなかったら、あれらの本を読んだかどうか。

マンガの最終回でも書いたけれど、「ヒマ」は大切な人間の本質。意識的に、創り出そう。そして、気の向くままにそれを過ごそう。

そう、南の島で、が良いかもしれない。

初出:CAREERINQ. 2005/12/01

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