第11号 旅に学ぶ-日本(沖縄・与論編)
古代人のおおらかさ
琉球語の特長の一つに「母音の縮退(しゅくたい)」がある。つまりは「あいうえお」の五音が「あいういう」の三音になってしまっているのだ。
故に「底(SOKO)」は「スク(SUKU)」に「瓶(KAME)」は「カミ(KAMI)」となる。よって「瓶の底」は「カミノスク」。
他にも面白い規則的変化がある。与論ではHがPとなることだ。花はパナ(HANA→PANA)、人はピチュ(HITO→PITU)。
これは実は中世日本語の発音に等しい。江戸時代、日本人は「はひふへほ」を「パピプペポ」と発音していたらしいのだ。与論や沖縄にはそういう古代の日本が残っているとも言える。
人の資質も、そうかもしれない。江戸時代300年間に叩き込まれた農民根性ではなく、おおらかで大胆な古代日本人の心を彼・彼女らは持っている。
沖縄県の婚姻率、離婚率、出生率、失業率は何れも高い。全国47都道府県の内、各々2位、1位、1位(ダントツ)、2位(大阪に抜かれた)である。
嫁に行っても働きに行っても「イヤなら帰って来い」と引力が働く。古き良き血縁主義・大家族主義に支えられた自立的相互扶助とも言える。離婚率や失業率の高さは琉球的秩序の「懐の深さ」なのだ。
これらは一方、本土から来た管理職にとっては悪夢である。
時間を守らない、約束を守らない、叱ると辞める、気に入らないと辞める・・・。本土的常識の中ではとても生きていけない。
でも管理職たちはきっと人生の楽しみ方、流し方、を学んで帰って行く。「なんとかなるさぁ!」
これが本土で通用するかどうかは、また問題ではあるが・・・
与論・沖縄生活が教える「こだわらなさ」「明るさ」
学生時代、与論の友人宅に3泊した。朝起きて食事をよばれ、借りた50ccバイクで5分、東の海岸に出る。泳ぎ、寝転び、家に戻り昼食を取る。昼は暑すぎるから浜には出ない。部屋でお昼寝だ。
夕方、5時過ぎに西の海岸に行く。バイクで10分。ラグビー型に潰れた大きな夕陽が海に沈むまで、泳ぎ、寝転ぶ。家に戻り夕食を取る。友人と3時間飲んで喋って、寝る。
これを3回、繰り返した。特に凄い会話も出来事もない3日間だ。しかし、とにかく空と海が圧倒的に、広い。そして友人もその家族たちも、広い。干渉することなく、日中はほぼほったらかし。これ程の気楽さがあろうか。
これで、いいのだ。
与論から沖縄・那覇に戻り、友人宅に2泊した。友人は自分の遊びで忙しく、私はまたもやほったらかし。
またまた50ccバイクを借りて、地図借りて、取り敢えず東へ、そして北へと向かう。
青空の下、アスファルトの道を走ると、対向車がワイパーを動かしている。何ごとかと思っていると、見る間に積乱雲が近づいてくる。そして20分後に風景は雨に飲み込まれる。
あまりの豪雨に雨宿りをし、雲が去るのを待つ。30分後に日が戻り、そしてまた青空の下、バイクを走らせる。
沖縄の上には青空と雲があり、風が吹いていた。浜辺には水が寄せ、米軍基地とコンビナートがあった。至る所に戦場の史跡があり、祈りと、そして明るさがあった。