第32号 三谷文庫 創設記念授業(上)
教科書体の誕生
北、人、入、糸、芝・・・これらは何れも、書き文字である楷書体と、印刷書体である明朝体・ゴシック体の姿が、大きくずれるものたちだ。
「北」などは、自分で書いてみれば直ぐ分かる。
楷書では左の縦棒が突き抜けてはいない。左下からのハネが勝っている。
「糸」もそう。明朝体では上部が五画に見えるが、楷書では明らかに三角だ。
木版刷りの印刷書体として生み出された明朝体は、その「見やすさ」のために独特の形を持っている。それは書きやすさでも書き順の統一とも関係ない世界での美しさだ。
これで困ったのが「教科書」だ。
子どもたちにまず教えるのは「楷書体」。正しい字として国語で、習字で、一文字ずつ教えていく。
なのに教科書の印刷書体が明朝体では、矛盾が起きる。「どっちが正しいの?」
それに対応するために文科省(当時は文部省)が発注したのが後に「教科書体」と呼ばれることになった教科書専用活字だ。
この活字が最初に使われたのは1935年(昭和10年)。以来、教科書にはこの特殊書体が使われている。最近のPCでは「HGS教科書体」などが入っているかもしれない。
もちろん教員たちの熱きリクエストに応えてのものだ。一度じっくり眺められては、如何。
「本」の進化、「図書館」の始まり
さていよいよここからが「本」の話だ。
本は文字と媒体からなる。それを結びつけるのが印刷だ。
媒体自体は粘土板に始まり、パピルス、木簡・竹簡、羊皮紙、そして紙と進化を続けてきた。
もちろん最大のブレークスルーは中国による「紙」の発明※2だ。しかしそれが、戦争捕虜となった紙職人と共にイスラムやヨーロッパに伝わったのは8世紀にもなってのこと。
それまで古代西側文明において主体であったのは永らくパピルスや羊皮紙だった。paperの語源ともなったpapyrusだったが、高価な割に持ちも悪く製本にも向かず、なかなかの難物であった。
では印刷はどうか。これも古代においては印刷以前、つまり手写しが基本だった。
一冊をちゃんと写本し仕上げるのに約一年。それだけで今なら数百万円のコストが掛かる代物だ。
写してチェックして修正して装飾して製本して・・・本一冊が膨大な時間と手間を必要としていたのだ。それでも「本」はそのコストに見合う価値のあるものと、思われていた。
古代エジプトの誇るアレクサンドリア図書館には50万冊の蔵書が積まれ、そこにはなんと常時5000人の筆写人が雇われていたという。
知識こそを力と見抜いたプトレマイオス1世が創設したアレクサンドリア図書館は、紀元前3世紀から数世紀にわたって世界最大の知識の殿堂であった。
その蔵書拡大意欲は強烈で、入港する全ての船を検閲しては新しい書物を没収し、筆写した後に写本の方のみを返却したという。
またある時、プトレマイオス3世は、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの悲劇作品のアテナイ公式版を手に入れるために15タラントン(約1億円程度?)の保証金を供託し、借り受け、やはり写本のみを返却したとか。オリジナルを手に入れるための、供託金没収覚悟の強攻策だ。
言葉は生きているものほど変化が激しい。地域毎に方言が生まれ発音が変わり、表記法や単語の綴りもどんどん多様化してしまう。言葉が流動化する中では知識はうまく伝わらない。それを「固定化」したものが本なのだが、古代において、本はとにかく貴重だった。
そのために知識は一部の国、一部の階層に留まり、一つの書物、一つの統一された言葉が世界に拡がることはなかった。例えそれがキリストの愛を伝えるものであれ、ボンペイの悲劇を訴えるものであれ。
紙が普及して木版刷りや活版刷りになってもそれは変わらなかった。生産効率は大して上がらず、本は高価なままだった。
その変革にはグーテンベルグを待たなくてはならない。その印刷システム改革が成し遂げられたのは僅か560年前、1447年のことだ。
グーテンベルグの印刷コスト改革
それまでの印刷技術を練り上げ、組み合わせて作られた彼の印刷術の根幹はその鉛活字製造法にある。
合金の配合を工夫し、作りやすく摩耗しにくく扱いやすい活字を作り上げた。そのお蔭で、全体の工程は効率化され、大幅なコストダウンが成し遂げられた。
聖書のような大部の本でも一般労働者2年分の年収程度、普通の本ならその数十分の一で買えるところまでに下がった。
結果、もたらされたものは何か。
多くの人々が個人として本を買えるようになったこと自体はもちろんだ。その他に大きな功績(?)が2つある。
一つはキリスト教の普及、もう一つは英語(や他の主要言語)の統一化だ。
前者は書物としての「聖書」がひろく普及したことによる。安くなった聖書は全ての街々の教会や集会所に置かれ、牧師の代わりにその教えを世界の隅々に伝えた。
後者はグーテンベルグに印刷術を学んだ英人カクストンに始まり、シェークスピアにとどめを刺す。
カクストンは英国でビジネスとして本を印刷し売るために、最もメジャーそうな英語の方言を選んだ。それがロンドン周辺の英語(日本の古文にあたる中英語)だった。そしてそれが全英語圏での標準語となっていく。
その標準英語で書かれたシェークスピアの作品群は当時(「ロミオとジュリエット」が1595年 初演)、圧倒的な支持を集め、その作品(戯曲や詩)は英語圏で広く読まれることになった。これでようやく、英語が一つのものになったのだ。
言葉が統一されたお蔭でまた、本が売れるようにもなっていく。本の時代の到来と言えよう。
それでも当時の書籍刊行数は微々たるもの。全ヨーロッパ計で年に3000タイトル(17世紀)ほどと推定されている。
本当の本の時代は20世紀に入ってから。
現代では年間、なんと数十万に及ぶ新刊が出る。アレクサンドリア図書館を一年で埋め尽くす量だ。
その爆発的拡大に、人は、どう対応してきたのか。
さて、本の不思議 前半はこれくらいにしておこう。
後半は「本の流通革命」「アマゾンジャンケン」と「本の選び方」のお話しだ。
※2 1世紀以前から中国では紙が作られていた
初出:CAREERINQ. 2007/08/31