第14号 MBAに学ぶ(前編)
絶望的状況からの生還
入学前、INSEADで4ヶ月間のフランス語特訓コースを受けた。
当時、フランス語が入学条件(今は違う)で、かつ私はフランス語が全く出来なかったからだ。アン・ドゥー・トロワくらいしか分からない。
なのに入学条件として求められたのは「Working Level(仕事で使える)」のフランス語。
実際の最終テストはこんな感じだ。
控え室にいると『Liberation(リベラシオン)』という新聞(軽めの経済紙)の記事の切り抜きを渡される。
「Koji、30分後にその記事についてのdiscussionをしましょう」
もちろん辞書の持ち込みは、不可だ。
必死に読み、自分の話しやすいテーマに結びつけたお話しを組み立てる。フランス人教師との口頭試験を30分間凌げれば、合格だ。
私がいたフランス語特訓コースのクラスは、上下の2クラス。私はもちろん下クラス7名の一人だったが、クラスメートに日本人は私だけ。
でもクラスが始まってすぐ分かったのは、私のレベルが下クラスでも、圧倒的な最下位だと言うこと。
クラスメートはメキシコ人、ドイツ人、サウジアラビア人、アメリカ人だった。
まずメキシコ人は論外。
スペイン語はフランス語と同じラテン語系なので、書いてあるものはほぼ読めるし、聞くのも結構いける。ただフランス語は発音が難しい(語尾が省略されて繋がったりして東北弁風・・・)のでそこだけの練習。でも文法が零点だったので下クラスにいる。
イギリスは、昔永らくフランスに支配されていたので難しい言葉(学術・政治・経済用語)ほど共通性が高い。だから英語のネイティブスピーカーは楽ちん。
そしてサウジアラビア人はなんと、オックスフォード大学出だったので、実はアメリカ人の何倍も英語(米語ではない)を知っている。
こんな訳で最初の数週間、私はフランス語の闇の中にいた。
目は開けているし、耳も聞いている。でも何にも分からない。フランス人教師の「教科書の10ページ目を開いて」という指示すら分からない。
1日予習をすると150の知らない単語が出てくる。復習をすると100が追加される。それを毎日ひたすら覚えていく。でも授業には全くついて行けない。流石に「これはやばい」と思っていた。これでフランス語の試験に受からなければ、日本に強制送還・・・か。
長女が日本でまさに生まれようとしていた91年の末、私は久しぶりの「絶望的状況」の中にいた。
フォンテーヌブローのマンションに一人、やることはフランス語の勉強だけ。たまにパリに車で出れば、信号無視で捕まり、警官に「ここはフランスなんだからフランス語で話せ」と(もちろんフランス語で)脅される始末。
1ヶ月が経ち、かすかな光が差した。ようやく教師の指示が分かるようになってきたのだ。
そこからは「発音は最低」とか言われながらも遂に、口頭試験をパスするところまで上達した。(促成だったのですぐ忘れてしまったが・・・)
これは久々の限界突破体験だった。何を学んだか?そりゃ「人間、やれば出来る」でしょう。