第5号 マスター・オブ・ライフへの道(前編)
自在の境地へ、そして無刀の境地へ
最近作で、出色のものといえば井上雄彦の『バガボンド』だろう。
中でも4~8の5巻にわたって描かれる、宝蔵院 胤舜(いんしゅん)との戦いが秀逸だ。
宝蔵院流槍術(そうじゅつ)の2代目 胤舜は、圧倒的な天賦(てんぷ)の才を誇るが故に、自分を高めるに足る相手がいない。そこに現れたのが野人 武蔵である。
胤舜は武蔵を相手に、命の遣り取りレベルの死闘を渇望する。
一度は敗れた武蔵だが、山中での修行を通じ「とらわれること」の弱さに気づく。
「心が何かにとらわれれば 剣は出ない」
「一本の木にとらわれては 森は見えん」
「最初に対峙したときにすでに 俺はとらわれていた」
「『俺』自身に」
「『俺は強いのだ』という思い込みに」
それでは「敵が見えるはずもない」
深夜、森の中、2度目の真剣勝負の中で、武蔵は遂に自在の境地を得る。
「この満天から見下ろせば 胤舜も俺も変わりはない」
「大丈夫だ よく見える」
死闘の結末は読んで頂くものとして、本当のメッセージはその後に、胤舜の祖父、胤(いん)栄(えい)から語られる。
「あいつの人生を前に進めてやらねば わしが本当に伝えるべきものは伝わらぬ」
戦いの後日、傷が癒(い)えた胤舜は、祖父に借りていた真剣の十文字槍を、返す。「もう無用」と。
その言葉に、胤栄は一人喜びをかみしめる。
「無刀 - この世のあらゆる事象の中で 言葉で言い尽くせるものが一体どれほどあろうか」
「理屈ではない 感じるものじゃったんじゃ」
「晴ればれじゃ」
色彩の魔術師 鄭問(チェン ウェン)
前編の最後に、台湾の異才 鄭問(チェン ウェン)の『深く美しきアジア』を紹介したい。
もちろん日本語でのものだが残念ながら絶版なので、全巻(1~5巻)の入手はかなり困難かもしれない。
舞台設定はかなり説明しづらいものだ。これは神どうしの戦いの物語であり、単純な善悪二元論のそれではない。
主人公は、百の疫災を抱え込んだ、厄災王 百兵衛。彼の至る所、災い有り。ものが壊れ、陸が揺れる。善良さの塊である百兵衛は、そのことに苦悩する。
対するは、世界の言語・文化・宗教・思想・経済の統一を図る、理想王。規律・整合・統合こそを絶対とし、乱れや欠如・過剰を嫌う。
「美しさ」さえ、彼にとっては「無用」なものだ。故に、混沌や混乱のもとである百兵衛は、彼にとって滅ぼすべき敵となる。これに蜘蛛人、ガマ男、機械元帥、魔界人などが物語のタテ・ヨコ糸になり独特の精神世界を創り上げている。
理想王は魔界の王 南魔天の息子なのだが、その魔性を嫌い独立していた。死んだ南魔天の遺志を継ぎ、腹心の部下、蛇朗君(じゃろうくん)(蛇の魔神)は理想王を新南魔天に迎えようと必死の努力をする。
それを魔界の絶対的裁判官 魔界判官に阻まれ、瀕死となるがそれでも蛇朗君は諦めず、死を賭して理想王に懇願する。新南魔天になって欲しいと。
理想王が答えて言う。
「蛇朗君!」
「私を見ろ おまえには理想が必要だ!」
「魔界のものは自分のために生きている 他人のためではない!」
「しかし おまえは私のために命さえいらぬと言った」「それはおまえの心の中に 理想の芽があるからだ」
「生と死も関係ない! 魔界と人間界も関係ない!」「それらの境界を越えて存在する唯一のもの」
「それが理想だ」
これは理想というものの本当の力を言い当てている。
物語の最後に、理想王は強大な力を得、そのあまりの強大さが故に世界を滅ぼす「絶滅者」となる。
これは、力を持ちすぎた、一個人の理想が、如何に破滅に近いかということを語っているのかもしれない。
鄭問のマンガの魅力は、その非凡な画力にもある。墨絵的な画法を用いた彼の画力に、ただ圧倒されるも良いだろう。
理想王の意思の力、その部下・将軍達の苦悩と信念、そして厄災王 百兵衛の善意。この本には他にも潰爛王(かいらんおう)、苦痛女、キョンシーの蝶子といった魅力的なキャラクターが多い。
この世における善意の強さ、を知りたくなったときに、良き本だろう。
マンガの回は更に続きます。次回をお楽しみに。
マンガリスト
- MASTERキートン、勝鹿北星・浦沢直樹、小学館
- PLUTO、浦沢直樹・手塚真、小学館(原作 手塚治虫「鉄腕アトム 地上最大のロボット」)
- Magical Super Asia 深く美しきアジア、鄭問、講談社
- 東周英雄伝、鄭問、講談社
- バガボンド、井上雄彦、講談社(原作 吉川英治「宮本武蔵」より)
- 寄生獣、岩明均、講談社
- ヒストリエ、岩明均、講談社
- ヘウレーカ、岩明均、白泉社
- 蒼天航路、李學仁・王欣太、講談社
- 陰陽師、岡野玲子・夢枕獏、白泉社
- 風の大地、坂田信弘・かざま鋭二、小学館
- 湾岸MIDNIGHT、楠みちはる、講談社
- 11人いる、萩尾望都、小学館
- 東の地平 西の永遠、萩尾望都、小学館
- 百億の昼と千億の夜、萩尾望都、小学館(原作 光瀬龍「百億の昼と千億の夜」より)
- 風の谷のナウシカ、宮崎駿、徳間書店
- ブルーシティ、星野之宣、MF文庫
- 巨人たちの伝説、星野之宣、MF文庫
- プラネテス、幸村 誠、モーニングKC
- 攻殻機動隊、士郎 正宗、講談社
- ピンポン、松本大洋、小学館
- ぼのぼの、いがらしみきお、竹書房
- よつばと、あずまきよひこ、メディアワークス
初出:CAREERINQ. 2005/06/30