第4号 歴史が教える「事を成す力」(後編)
義経伝説の真実
日本古代史ミステリーでは、高橋克彦氏、井沢元彦氏を忘れてはいけない。
特に、井沢元彦氏の小説は、ほとんど学術論文的である。膨大な文献・史実による裏付けを持って、新しい学説を発表する。(全く新規のものではないにせよ)
それをより多くの人に読んでもらうために、現代の殺人事件と組み合わせた「ミステリー」仕立てになっている。そんな風である。
『義経はここにいる』は稀代(きだい)の英雄、源義経がどこで死んだのかということをテーマにした、歴史ミステリーだ。
源義経の行く末には様々な説がある。
奥州平泉、高館で藤原泰衡に急襲され、弁慶などの家来たちと死んだ、という通説に対し、蝦夷(えぞ)へとわたったという北行説、更にはなんと樺太、モンゴルへと移り、成吉思汗(チンギス・ハーン)になったという説まである。
井沢元彦氏どう結論づけたのかは、読んでのお楽しみと言うことにするが、ここでは本書の中で書かれている「判官(ほうがん)贔屓(ひいき)」について述べよう。
ご存じの方も多いと思うが、この言葉はそもそも源義経自身を語源とする。
判官の位を得ていた義経に対し、「薄幸(はっこう)の九郎判官(源)義経に同情し愛惜する意から」といことから来ている。
しかし、何故に日本人は「判官贔屓」なのであろうか。そしてその判官義経に対して「義経不死説」がこうも根強いのか。
『義経はここにいる』で主人公は言う。
「世の中すべてのことに理由はあるんだよ。判官贔屓という日本人独特の感情は何故生まれたのか、起源は何なのか、そして義経伝説とどういう関係にあるのか」
「敗者が出れば、怨念というものが発生する。怨念とは、天災、疫病、飢饉 - すべての不幸の根源じゃないか」
故に日本人は敗者を出さないようにする。それが判官贔屓だと。それが聖徳太子の十七条憲法第一条「和をもって尊しとなす」の本質だと。
更に、言う。
「怨霊が出現しないためには、どうすればいい」
「その人間は死ななかったと考えるんだ。死ななければ怨霊にはならない、したがって祟りもない。もっとも安上がりで確実な怨霊排除法じゃないか」
これほどまでに「義経不死説」が強い理由がここにある。単なる歴史ロマンではない。その時代に生きた人々の、積極的な不幸回避手段であったのだ。
梅原猛氏は言う。
「一つの寺は、ある意味をもってそこに存在している。その意味を与えたのは、それを造った人間の意思である」
歴史の足跡のすべてに、現代の身の回りの事象たち一つ一つに、意味がある。それを作り上げた人々の意思がある。刮目してそれを見、感じよう。
歴史の本のお話しはこれで一端終えることとする。次回は「マンガ」だ。日本が誇るコンテンツ産業の、存在意義に迫ろう。
お楽しみに。
歴史書・小説リスト
- 隠された十字架―法隆寺論、梅原 猛 著、 新潮文庫
- 神々の流竄(ルザン)、 梅原 猛 著、集英社文庫
- 水底の歌―柿本人麿論 (上)(下)、梅原 猛 著、新潮文庫
- 猿丸幻視行、井沢元彦 著、講談社文庫
- 義経はここにいる、井沢元彦 著、講談社文庫
- 恨の法廷、井沢元彦 著、徳間文庫
- 写楽殺人事件、高橋克彦 著、講談社文庫
- ダ・ヴィンチ・コード (上)(下)、ダン・ブラウン、角川書店
初出:CAREERINQ. 2005/04/27