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第55号 未来を見通すための視点:統計と『その他』

統計的理論 対 経験則

マーケティング学者やコンサルティング会社は、未来を見通すためにさまざまな「理論」を作りだしてきた。

経験曲線、プロダクトライフサイクル曲線、スケールカーブ、普及曲線、などなど。たとえば経験曲線は、過去の累積生産量と生産コストに一定の関係があると説く。ゆえに、今後の生産数量を仮定すれば、そのときのコストが推定できることになる。

いずれも、学問的な意味での「理論」ではない。極めて「経験則」的な、でも有用なツールたちであった。

しかし、開発されてからすでに半世紀。それらツールの命脈も尽きつつある。


一方、経済学者たちは統計という武器を片手に、「理論」を追求した。そして、株価、経済成長、為替、もしくは、給与を予測しようとした。

その努力はどんどん数学化し、専門化し、金融の世界を複雑怪奇な数式の羅列へと変化させた。その一つの帰結が08年末の金融恐慌だったわけだ。経済学者たちは、「未来」を指し示すことに失敗した。


経済学者が未来予測に成功するときもある。たとえば学歴別の生涯年収だ。

米国での長年の精緻な研究は、「最終学歴が大学卒業の者と、高校卒業の者との間には、大きな年収差がある」と結論づけている。ただこれは日本でも同じだし、それほど頑張らなくてもわかる結論だろう。

しかし次はどうだろう。

(米国において)「卒業した大学間での年収差はほとんどない」

どの大学を選ぶべきか~統計が示すもの

やはりこれも綿密かつ徹底的な調査が行なわれたが、トップの数校(ハーバード大学など)を除けば、米国の数千の大学間での卒業生の年収差は、見あたらなかった。

一流大学の有名学科のあるクラスを出た者の平均年収と、そうでない某大学某学科某クラスを出た者の平均年収とは、変わらないのだ。

それより、個人差。

一つのクラスの中での個人間の差異のほうが圧倒的に大きいのだ。いい大学を出ること自体は、年収増加にまったく貢献していない、が結論だった。


同時に、お金を出す親たちの意識はまったく逆であることもわかっている。子を大学に送る彼・彼女らは信じている。

「いい大学を出ることで、将来、子どもは経済的にも恵まれるはず」と。

残念ながら、それは統計的に、まったく正しくない。親たちには、膨大精緻な統計調査が指し示してくれた「未来」が、見えていない。

「その他」から未来の兆候を探すキヤノン

キヤノンが国内外の顧客から受ける故障や返品情報は年間150万件以上に上る。苦情や使い方相談等の問い合わせは450万件以上。

これらは顧客からの直接の声であり、貴重な情報の宝庫のハズだ。しかし、内容をすべてまとめて整理して、比較・分析するのは大変だ。

そこで、キヤノンは、問い合わせのすべて(国内外を含む!)を一元的に検索できる情報システムを構築している。

新製品発売直後から世界中から集まる故障や苦情の情報は、月一回キヤノン本社に集約され、このシステムのテキスト・マイニング機能によって翻訳される。さらにカテゴリーに分類され分析され、社内の誰もが見られる状態にされる。

新製品の品質担当者にとってこれ以上の情報源はないと言ってよい。

どの故障が多いのか、どこで多いのかどれは収まってきたのか、対策は功を奏しているのか。そういったことが詳細に見て取れる。


そこで特に注目されているのが「その他」のカテゴリーに分類される内容だ。

もちろん、ほとんどの情報は「その他」ではないさまざまなカテゴリーに分類される。「紙づまり」であったり「印刷ズレ」であったり。

しかしそれらは、ある意味全て「既知の情報」であり、未来を見通すためには価値が低い。「未知の情報」が集まるところ、それが「その他」カテゴリーなのだ。


01年にキヤノンが導入したこの仕組みによって、二つのブレークスルーが生まれた。

一つはリードタイム。これまで3週間かかっていた分類・分析作業が、30分に短縮された。月次だった処理は週次になり、世界中の情報が翌週には見られるようになった。

結果、担当者たちの問題対応速度が格段に高まった。


もう一つが「その他」の深掘りだ。

このシステムの持つテキスト・マイニング機能(データからあるテキストを引っ張ってくる機能)は週12万件の故障・苦情情報のほとんどを、自動的に既存の180カテゴリーに分類してくれる。

でもそこで分類しきれない数%の「その他」の中にこそ未知の問題や新規の課題が潜んでいる。

そこはまさに玉石混淆、新たな故障の最初の一件が報告されているかもしれないし、新たな使い方につながる相談情報が紛れ込んでいるかもしれない。

専任のデータ分析担当者はここに集中する。各種のツールを使って分類を試み、また、数千件の「その他」生データ一つひとつに目を通す。そしてそこから未来への兆候を見つけ出す。


統計に真摯に向き合おう。お金を生み出すためではなく、失わないために。「その他」に最大限の気を配ろう。そこにこそ未来への扉が潜んでいる。


お知らせ:8月12日、日本実業出版社から『発想の視点力』(予価1575円)が出版されました!

初出:CAREERINQ. 2009/08/17

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