第34号 台風9号東京直撃!
F小学校、「水害」避難所開設!
9月6日夜、自宅の電話が鳴った。
私がPTA会長を務める、地元の区立小学校からだ。校長先生が緊張感を含んだ声で私に伝える。
「台風に備えて、われわれは学校に泊まり込みますので」
東京を直撃すべく北に進路をとった台風9号が、まさにそこまで迫ってきていた。F町は多摩川のお膝元。普段から流量は豊かだが、年に一二度は水深が数倍になり中洲が水没するときがある。実際、1974年には数㎞上流の狛江市で堤防が決壊し、民家19戸が流出してもいる。
現状のままなら、もっと桁違いに大きな水害も、起こりえる。国土交通省は「200年に1回程度起こる大雨で洪水が発生し堤防が決壊した場合、氾濫が想定される面積は約9,000ha、被害額は約10兆2千億円」と推定している。
間違うなかれ、200年後、ではない。200年に一度程度、だ。一生の間にこの災害に遭う確率は1/3以上なのだ。
川沿いの住人にとって「水害」は遠いどこかの話ではなく、「そこにある危機」なのだ。
雨は関東山間部で夜通し降り続き、急流である多摩川の水位は即座に上昇する。あっという間に何十面もの野球場、サッカー場、テニスコートが濁流の下に消え、憩いの場である小高い丘も、大部分が水没。
ついに翌朝7日5時、F小学校に避難所が開設され、6時20分には地元住人1500人に対して、避難勧告が発令された。
この時の最高水位は8.6メートル。堤防決壊まであと90cmだった。
幸いなことに雨は早くに上がり、出されていた大雨・波浪・洪水警報なども次々解除され、9時54分には避難勧告も解除となった。校庭に陣取っていたNHKの中継車も引き上げ、新聞記者たちも社へと戻っていく。
10時過ぎには小学校でも子どもたちの登校が始まり、その日の内に学校も平常さを取り戻した。
災害から学ぶべきこと
台風9号の被害が東北地方に移った翌朝8日、朝日新聞は大きく紙面を割いて報道した。
「避難所利用 7人のみ 多摩川増水」
そうなのだ。 準備万端の広い体育館に、避難してきたのはたった7人、3家族。対象の0.5%であった。
もちろん、小学校以外に避難した人々もいる。数百メートル離れた高台にある知人宅に移った、という人も多い。
しかし、殆どの人たちはやはり、自宅で様子を見ていた。
「これくらいなら大丈夫だ」と。
本当の災害時に、逃げ遅れるのは災害未経験者ではなく経験者だ。
「あの時も大丈夫だった」「あの雨でもうちの裏山は崩れなかった」
2005年の台風14号は、宮崎県内で死者13人、住宅被害9000棟の被害を出した。特に大淀川沿いの旧高岡町では全戸数の2割、1168棟が被害にあった。この地域は過去も度々水害に遭っている。
しかし、この時、この地域で出された避難勧告に対し、多くの人が応じなかった。
特に『過去の被災経験者』では63%が無視。『未経験者』の90%がちゃんと避難した※1のに、だ。
災害経験は、災害リスクの適正な評価に繋がらない。ヒトはリスクを必ず過小評価するように、なる。
あんな時でも自分は生き残った、とか、もう暫くは遭わないだろうとか・・・
そういった確率的には何の意味もないことを、思い込む。己に都合の悪い情報を無視したり過小に評価したりする。
これこそが「正常化の偏見(nomalcy bias)」と言われるものだ。災害を生き残ったものが学ばなくてはならないことの第一は、これだ。
※1 宮崎大学 村上啓介 助教授 調査