第28号 教えず導く(小学生編)
小学校 入学式にて!
2007年4月6日、晴れ。
三女が通う地元の公立小学校で、入学式が執り行われた。97名の新一年生と200名近くの保護者、170名の2年生・6年生、20余名の来賓、数十名の全教職員、計550名が参加する一大イベントだ。
満場の拍手の中、ぴかぴかの新一年生たちが、二人ずつ手を繋いで入場。全員起立・礼。国歌斉唱、校長先生の挨拶、祝電の披露と続く。
初々しい一年生たちは、「おめでとう」と言われる度に「ありがとーございますっ」と声を張り上げる。そして、25分が経過し、いよいよ私の出番。新「PTA会長」私のスピーチだ。
考えてみれば、就任最初のスピーチが入学式でというのも難儀なこと。なんせメインの聞き手は、ほぼ全員6歳児。これほど難易度の高いスピーチはこれまで経験がない。
直前の2ヶ月、毎日考えていた。一体、何を伝えよう。どうやって、伝えよう。
何を身に付けるべきか
10年先、20年先を睨んだとき、子供たちがいまから身に付けるべき「力」とは一体何だろうか。明らかに、コミュニケーション力はその一つだ。
中学校レベルではこれが深刻な問題となっている。語彙が少なすぎて相手に意図が伝わらない、言葉から類推して相手の心や状況を想像できない。
そもそも伝わっていなくても気にしない、気にならない。ハードなコミュニケーション(交渉とか)が出来ないので、無視か押し付けといった極端に走る・・・
これらは明らかに学校の問題でなく、家庭の、親の問題だ。原因は色々あるが、「一人っ子」「ゲーム・TV漬け」は大きな要因と考えられている。 兄弟姉妹がいれば発生する幼稚で非論理的な、しかし真剣なコミュニケーション(ものの取り合いとかチャンネル権争いとか)が一人っ子では生まれにくい。
周りにいる人間はほとんど大人で物わかりが良く、しかも甘い。泣いたり暴れたりすれば勝てるのだから、難しいコミュニケーションなど覚える必要がない。
ゲームやTVは多くの場合極めて受動的であり、かつあまりにビジュアルで、ヒトが想像力を働かせる余地がない。脳内で、言葉を絵や雰囲気に変換する機能が「想像力」
これなくして的確なコミュニケーションは成り立たない。
兄弟姉妹を作ろう、ダメなら小さい頃から保育園に入れよう。対等の子ども同士の遊びの中で、何かを学んで貰うために。
本を好きにならせよう。言葉から相手の心や状況を想像できる力をつけて貰うために。
今ならまだ、間に合う。