学びの源泉

HOME書籍・論文・学び > 学びの源泉  天井画と襖絵と建築と

第27号 天井画と襖絵と建築と 

襖絵という名の総合工芸

久しぶりに京都・三十三間堂に行った。堪能した。

次の予定まで時間があったので、何の気無しにお隣の京都国立博物館を訪れた。初めてのことだ。

たまたまやっていた展覧会が「京都御所障壁(しょうへき)画」特別展。1855年に造営された今の御所の1000面を超える襖(ふすま)絵・杉戸絵や壁画から、200面を集めたもの。それらはもちろん当代最高の京都絵師たちの手になるものだ。

円山応挙(おうきょ)や伊藤若冲(じゃくちゅう)らを輩出した18世紀に比べ、印象が薄いと言われる19世紀京都画壇ではあるが、流石に狩野永岳(えいがく)の鳳凰(ほうおう)図などは見事だった。保存状態も良いのだろうが、まことに青き蒼であった。


しかし、同時に物足りなさも感じた。


そもそも襖とは何だろう。それは部屋と部屋とを間仕切るために発明された、日本独特の建具だ。

もともと日本貴族の住宅は「夏」をむねとした通気性の良い寝殿造り。つまり仕切るものの何もないだだっ広い吹き通しだった。

そこで創られたのが障子や襖なのだ。可動式であり、取り外しまで出来、意外と断熱性が高く、しかも絵の下地となる画材でもあった。

例えば書院造りの部屋一つを芸術と見れば、襖絵はただの「絵」でなく、部屋や建物全体の完全な一部である。

京都・大徳寺の塔頭(たっちゅう)、聚光院(じゅこういん)に行けば、狩野永徳の襖絵が楽しめる。その味わいは、美術館にあるものとは比べものになるまい。

襖絵はそこにあるべくして描かれたモノ。桃山時代の息吹を感じさせる方丈(ほうじょう)(1566年創建)に今もなお存在するが故に、その時代の風を強く運んでくる。


ミケランジェロの『創世記』は、システィーナ礼拝堂の天井にあってこそ。

至高のステンドグラス『薔薇窓』は、ノートルダム大聖堂の高く広い暗がりにあってこそ。

狩野永徳の襖絵も、大徳寺 聚光院という名刹(めいさつ)にあってこそ。


分解しては決して分からないものもある。あるがままでしか味わえぬ価値がある。

美術館に行き、博物館に足を運び、でも、時々は旅をしよう。そして、「それ」を、そのままに見よう。

初出:CAREERINQ. 2007/04/01

totop
Copyright(C)KOJI MITANI