第27号 天井画と襖絵と建築と
天才ミケランジェロの天井画『創世記』
1992年、システィーナ礼拝堂に行った。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、向かって右隣の建物だ。
ここにはミケランジェロの『最後の審判』がある。
彼が晩年66才の時に5年を掛けて描き上げた大作だ。そこには再臨したイエスを中心に、400体以上の神・人間が描かれる・・・でも、私は見ていない。
ちょうど日本テレビが資金援助した大修理の真っ最中で、私が見たその壁には、保護シートと実物の数分の一のレプリカが掛かるのみ。
故に私にとってのシスティーナ礼拝堂は天井画の『創世記』に限られる。
これはその20年前、彼が壮年の時にやはり4年を掛けて描いた超大作だ。弟子の仕事ぶりが気に入らずクビにして、天井画を一人で描き続けたために完成時にはクビが曲がってしまっていた・・・というのは有名な話だが、この天井画も凄いの一言に尽きる出来映えだ。
礼拝堂に入ると、多くの人たちが床に寝転がっている。始めビックリするが、すぐに納得する。この『創世記』の迫力をフルに味わおうと思えばそれがベストだ。もちろん自分もそれに見習ってゴロリ。10数分をそうやって過ごす。
視界一杯、いや視界を超えて拡がる、巨大な天井画。旧約聖書『創世記』の9場面、天地創造、楽園追放、大洪水・・・が頭上10mから迫りくる。
「彫刻家」ミケランジェロに、無理強いして描かせるだけのテーマでありキャンバスだ。(当時、彫刻家を自認するミケランジェロは、ローマ教皇ユリウス2世からの作画要請を一旦は拒絶した)
我らが貴婦人の『薔薇窓』
パリ中心のシテ島にそびえる大聖堂がノートルダム寺院。Notre-Dame=私たちの貴婦人、とは聖母マリアのことを指し、大きな聖堂には良く付けられる名前だ。ランス、シャルトル、アミアン、ストラスブールにあるノートルダム大聖堂はパリのそれと同じく全て「世界遺産」でもある。
パリ、ノートルダム大聖堂に一歩足を踏み入れると、その暗さとひんやりとした冷気に驚かされる。数分たってようやくその暗さに目が慣れてくる頃、急に眩しくその存在を主張してくるモノ、それが高所にある数々のステンドグラス窓だ。
鉛の枠(リム)で着色ガラスを組み合わせていくステンドグラスは中世ヨーロッパ、特にフランスで発達した。建築技術の向上と共に、広く高い聖堂が造られるようになり、その大空間を演出する技術が求められた。そして「光」を操るステンドグラス窓が、そこでの装飾の主役となっていったのだ。
最も有名なそれはパリ南西90kmのシャルトル大聖堂にある『美しきガラス窓の聖母』『薔薇のステンドグラス』たちだ。
パリ、ノートルダム大聖堂の『薔薇窓』たちもそれらに劣らない。
堂内の暗さは、ステンドグラスの光を眩しく輝かせ、その眩しさは周りの夾雑物を暗さの中に押し込める。そしてステンドグラスの余りの精緻さ、そこからの光の美しさは、無神論者にさえ思わず神の存在を信じさせるが如き力を放つ。
しかしそれを創ったのはヒトだ。自らが感じた「神の力」を他の人間にも伝えたいと願う、強い意志こそがこのような超絶的な闇と光の作品を生み出したのだ。
大聖堂の大空間建築とステンドグラスは相携えて、ヒトを闇に誘い、そして光明を与える。