第23号 超長編小説としてのTVゲーム(前編)
禁断の地 TVゲーム大陸
初めてTVゲームをやったのは小学4年くらいのこと。父からのクリスマスプレゼントで、テニスゲームだけできるものだった。熱中した。
幸いにして我が郷里 福井県では高校生以下がゲームセンターに出入りすることを禁じていた(!)ので、貴重な青春な日々をTVゲームに浪費することなく、生活できていた。
しかし分かっていた。やり始めたら絶対はまるに決まっている。そうしたら人生終わりだと。
以来、最大限の自制心を発揮して、ファミコンやスーファミにも手を出すことなく、学生生活と新入社員時代を乗り切った。
ここまでくれば大丈夫。なはずだった・・・忘れもしない93年春、某ゲームメーカーのプロジェクトが始まるまでは。
晴れてTVゲームをやるお墨付きを手に入れた私(の10年間抑圧されていた部分)は、仕事のための調査・研究と称して、爆発的にゲームをやり始めた。
顧客の商品を知らずして、ユーザーの心を知らずして、プロジェクトなど出来ようか!
そして私は、禁断の地にその足を、しかも力一杯、踏み入れた。先に彼の地を彷徨っていた弟の助けを借りて、私は数多(あまた)の過去の名作たちや、技術の粋を集めた最新作たちを片っ端からやりまくった。
プロジェクト期間中だけでもその数、数十。
投入した時間は300時間では利かないだろう。なにせ大作のRPG(ドラゴンクエストのような探検物語もののゲーム)だと、クリアまで最短で50時間、寄り道しまくれば150時間は掛かる。
果たして、仕事とゲームの両立は可能なのか。そんなギリギリの極限状態をここ10数年続けてきた。その中で、私が選ぶベストRPGは・・・デアラングリッサー。11年前の作品だ。
覇道への無限の階梯「デアラングリッサー」
デアラングリッサーは、95年スーファミ向けにメサイア社によって開発・発売された。
ラングリッサー シリーズの2作目の改作版だ。
戦いの場面はボードゲーム的で、いわゆるシミュレーションRPGなのだが、そのストーリーがまことに深い。
主人公は「光の末裔」。親友を含め助けてくれる仲間が多くいる。敵は「帝国軍」と、それを裏から支える異界の「闇の軍勢」。
帝国軍はただの悪者ではない。その皇帝は各国を攻め滅ぼしてゆくが、その目的は「少しでも早く世の戦乱を収め、世界に平和をもたらす」ことにある。
その腹心の部下は主人公の旧友でもあり、主人公に問いを突きつける。
「なぜ逆らう? お前らに諸大国を治められるのか? この世から戦いをなくせるのか?」
そして主人公を帝国軍に誘う。
「仲間たちを捨てて帝国の将になれ。世界に一刻も早く『平和』をもたらすために」
ゲーム中、こういった様々な問い掛けがあり選択がある。
もちろん、(1)「光の末裔」軍を組織して、帝国軍と闇の軍勢を倒す、というのが最も一般的な進み方だが、それだけでゲームは終わらない。
他にも選択次第でいくつものストーリーが存在する。
(2)途中で仲間を裏切り、帝国軍の将となり旧友と共に皇帝のために戦い帝国による世界平和を目指す
(3)帝国軍に寝返った上で、旧友と皇帝を倒し、自ら帝国の皇帝となって自身の理想を実現する
(4)帝国軍に入った後、闇の軍勢と結びその王となり、光の末裔・帝国軍を相手に戦う
そして最後、究極のシナリオは、
(5)その上で更に闇の軍勢をも裏切り、自分自身(と親友)のみで全てを敵に回して覇道を歩む!だ。
(5)を選択した瞬間、戦場で3色に分かれていた軍勢(光の末裔、帝国軍、闇の軍勢)は、2騎をのぞき全てが「敵」の赤色へと反転していく。
画面は赤一色。味方2騎に敵120騎。これを果たして生き残れるのか・・・ぞくぞくする瞬間だ。
主人公始め、各軍の登場人物は非常に魅力的に描かれている。それもあって、このデアラングリッサーは、単純な善悪二元論、勧善懲悪の物語とは全く違った世界を見せてくれる。
この世に唯一無二の「正義」や「正しさ」は、ない。各々に理想と思想、野望があり、その実現のために精一杯生きている。
更には、友との友情をとるのか、自分の理想を追うのか、といった究極の問い掛けをもこの物語は、我々に投げかける。
本になくてTVゲームにあるもの。それはこういった「選択性」「読者による意思決定」だ。ゲーム作者はプレーヤー(読み手)に突きつける。
貴方ならどうする?と。
改作・移植されたものがプレステでも楽しめる。(http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005OURM/)