第21号 テレビに学ぶ(前編)
楽しんで学ぶ - 舞台は教室、観客は生徒、演者は先生
中学英語教師 田尻氏の授業スタイルは兎に角楽しい。5分ごとにテーマが変わり、殆どがゲーム感覚で進んでいく。
例えば英語カルタ。
子供たちは耳に全神経を集中させ、微妙な音の違いを聞き分ける。
「walk!」「ハイ!」
「work!」「ハイ!」
ムリに教えようとしても出来ない、自発的な学習がそこにはある。
更に彼は、生徒の一部を「教える」側に引き摺り込む。一般に田舎の公立中学で考えれば、出来る子は授業中ヒマだ。とっても。
口頭での小テストという演目を作り、受かった子を彼は「Teacher」と名付け、バッチを与え、その子たちを教え役、試験官役に任ずる。
Teacherたちも一生懸命クラスの子を教え、教えることの難しさや楽しさを学ぶ。少なくとも、もうヒマではない。
それによって生み出されるのは、実は、田尻氏自身の時間だ。
小テストの演目中、彼は遊軍として一人一人を見て回る。特に躓いている子供たちを重点に。v 教えることを生徒に分担させるという、誠に大胆な権限委譲、役割再分担によって可能になる、公立校における個人授業だ。
彼の原点はしかし、強烈な失敗経験にある。
彼は最初に赴任した神戸の学校で、強烈な「叱り型」教育を行い、大失敗をしたのだ。
荒れた学校、落ち着かない授業・・・彼は授業自体よりも生活指導、部活動指導に力を入れ、鬼となって生徒たちに対峙する。
そのしごきが実り、指導した部は県での優勝を勝ち取る。その打ち上げでのこと、満足感を覚えていた彼に、生徒たちはしかし、「恨み」の言葉を投げつけた。
「先生、あのリードされてた時、もうアカンと思ったやろ」「ああ、思った」
「だけど僕らはみんなで言ってたんや。ここで負けたら何のためにここまでイヤな思いをしてきたんか分からん。絶対逆転して先生を見返してやる、って」
恨みの言葉が生徒たちから延々続く間、彼はただうつむき、頭を下げ、手を握りしめ涙を流したと言う。「すまなかった」
彼はそこで思い知る。「楽しさの中にしか教育はない!」と。
テレビは本当に、麻薬だ。作る方もその意識で作っている。どう刺激するか、どう麻痺させるか、どう常習性をつけるか。
用法用量を守らないと死に至る危険がある。活用法は気をつけよう。
でも、とてつもないコンテンツがそこには潜んでいる。気をつけて、そっと覗いてみよう。
初出:CAREERINQ. 2006/09/29