第21号 テレビに学ぶ(前編)
20世紀最大・最強・最悪の発明 テレビ
おそらくは電話(1875年にグラハム・ベルが発明)と一二を争うであろう発明が、テレビだ。
電話の場合、事業者が提供するのが「インフラ」だけであり「コンテンツ」は利用者自身のお喋りであるのに比べ、テレビ事業は「コンテンツ」も含めて作り、伝える機能を持っている。
その巨大な産業の大部分が「広告費」という名目で第三者によって賄われ、視聴者は番組という名の「無料コンテンツ」を存分に楽しめる。
しかも、その活用(視聴)において技術や訓練は全く必要なく、対象は老若男女極めて幅広い。
放送されるコンテンツ群は高い質(もしくは刺激)を持ち、人々は人生の時間の何割かをただその視聴に捧げている。一人であろうと家族一緒であろうと、モノを考えることなく、会話を交わすことなく。
1957年、批評家 大宅壮一は看破している。
「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い」(1957年2月2日号 週刊東京)
ただ、ここではテレビをちょっと、誉めてみよう。やはり伊達に年間数兆円が突っ込まれているわけではない。良い番組は、確かにある。
ようこそ先輩 - 片山右京の限界突破!
テレビ自体は結構見ているけれど、必ず見る、というものはあまりない。
朝夕のニュースと「大改造!劇的ビフォーアフター」(朝日、レギュラー放送は2006年3月で終了)くらいだろうか。
ただ、NHKの「トップランナー」「課外授業 ようこそ先輩」「プロフェッショナル 仕事の流儀」はやっていれば必ず見る。
「ようこそ先輩」は著名人が母校の小学校に戻って子供たち相手に授業を行うというもの。
松井秀喜さんが小学生に硬球を打たせたり、宇崎竜童さんが一人一人にラブソングを作らせたり、皆で製鉄炉(鑪 たたら)を組んで砂鉄を集めて鉄を作った回もあった。
その中でも2001年放送の片山右京氏の回※1は、凄かった。
まずはクラス全員を富士スピードウェイに連れて行く。コースを歩かせ、同時に三人ずつ車に乗せて彼の「腕」を見せつける。
そして本番。学校の体育館内に、富士スピードウェイの模型コースが造られた。授業の内容は、ここを子供たちに走らせて、そのタイムを計る。ただそれだけ。
1回目。
意外な結果が出る。普段鈍足の子が2位になったり、俊足の子が真ん中くらいだったり。
終了後、彼は皆に言う。
「もっと考えて、自分の体をコントロールして。みんなまだまだ速くなれる」
皆、コースを歩いて下見し、作戦を考え、イメージトレーニングをする。
タイムトライアル、2回目。
なんと全員のタイムが大幅にアップしている。盛り上がる子供たち。「やった、やった」
しかし彼は皆に言い切る。
「まだだ!」
「もう限界って思っているかも知れないけれど、本当の限界はみんなが思っているよりもずーっと先にある」
「集中しろ!集中すればその限界を突破できる!」
彼にハッパを何度もかけられて皆の目の色が変わる。
そして3度目のタイムトライアル。
結果は・・・
今回も全員のタイムが向上する。約40名がただ一人の例外もなく。彼・彼女らはきっと一生この瞬間のことを覚えているだろう。
「限界は自分の中にある」 「集中による限界突破!」
仕事の流儀 - 教えず導く
同じくNHKの「仕事の流儀」も既に30回弱※2を数える。登場人物は何れも斯界の「超一流プロフェッショナル」だ。
(http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/index.html)
「ご神木」を切り倒す決断をする樹木医、敢えて「絶対」直すと言い切る脳神経外科医、イタリア ピニンファリーナ社でカーデザインチームを率いるディレクター。
各人の言葉は、選ばれ鍛え抜かれてきたモノであり、ギリギリ極限の世界での緊張感が伝わる番組だ。
その中でも、第14回 日産自動車テストドライバー 加藤博義氏の回と、第25回 島根の中学英語教師 田尻悟郎氏の回が秀逸だった。
加藤氏は日産自動車のテストドライバー数十人のドンだ。その評価は「神の声」とまで言われるという。
計器に出ない、測定し得ない微妙なズレや難点を彼は自分の感覚でズバリ言い当てる。その感覚は研ぎ澄まされ、速度計無しでもスピードを誤差1キロ以内で言い当てる。
その彼の基本スタンスは「修羅場で笑えなきゃ、プロじゃない」
彼は時速200kmの車を指先だけで運転したり、期限の迫った大問題に直面しても笑顔を見せたり、兎に角、極限的状況の中での余裕を忘れない。
やせ我慢でも余裕を見せることで、自分も相手も何とかなる気がする、前進する気がする。
そんな彼の、部下育成方法は独特だ。
新車に装備するタイヤセットを決定するための評価を若手二人に任せる。
3週間を掛けて二人は徹底的に走り込み、測定し、議論し、また走る。期限ギリギリに彼は現場に行き、黙って自ら試乗する。タイヤセット毎に1時間。
その後、若手たちに彼らとしての結論を言わせる。「セットAが良いと思います」「理由としては・・・・」
彼は頷く。
「それで良いんじゃないか」
ある意味、徹底的な放置スタイルだ。
加藤氏は言う。
「俺は教えない」
「教えちゃうと、教わろうっていう『クセ』が付いちゃうから」
受け身的に教わることに慣れてしまった人間は、決してトップには立てない。
どんな職業であれ、トップに立つとは前人未踏の世界に足を踏み込む者になると言うことだ。
そこで必要なのは「教わる力」ではなく「自ら学ぶ力」だ。而してそういった力をどうやって「教える」のか・・・いや「教えずして導く」のか。
※1 01年度のATP賞 優秀賞を受賞
※2 2010年1月時点では134回