第8号 旅に学ぶ-日本(ヒッチハイク編)
予告と違ってごめんなさい。私がこれまで経験した様々な「旅」、そこから学んだ様々な事柄、について数回、お話しします。
ヒッチハイク したことありますか?
旅らしき旅を始めたのは大学一年生。以来20余年、日本国内45都道府県(欠けているのは・・・三重と和歌山)、世界20カ国を歩いた。
基本的には、とても楽しかった。そこで学んだことは膨大である。その中でも、心に残ったモノを幾つか紹介しよう。
まずは、ヒッチハイク、の話。
約束をしていた友人(男)にドタキャンされ、寂しい東北一人旅をする羽目に陥ったのが19才の7月末。ところがそこで、気楽で孤独な「一人旅」の楽しみを知った私は、夏になると1週間の一人旅、を習慣とするようになった。
2年生の夏は四国旅行。今は無きJRの宇高連絡船に乗って高松から入り、徳島、高知と下って、愛媛松山で道後温泉を楽しんだ。
衝撃のヒッチハイク初経験は高知でのことだった。
高知での主目的地は、もちろん桂(かつら)浜(はま)。坂本龍馬の銅像が太平洋を遙かに望む、龍馬ファンのメッカである。
夕方、野宿地を探すべくうろうろしていたら、他の同類達に捕まって銅像の下での宴会となったのはご愛敬。波立つ海から丁度満月が昇り、銀色の光が龍の鱗のごとく伸びていた。
超早寝早起きで早朝の町を楽しむことを喜びとしていた私は、同類たちの「裏切り者~」の声を背に、10時過ぎには早寝を決め込む。おかげで翌朝、起床は5時半である。
さて、次なる目的地は南海随一の名城、高知城。高知市内に戻らなきゃ。でも、交通機関はまだ動いちゃいない。
バスの時刻表を見たら始発はまだ1時間半後。しょうがないのでふらふら歩き出す。10kmあまり、もし全部歩いたら2時間半。バスを待っていた方が賢いのだが、一人旅の学生にそんな合理性は通らない。なんでもいいから前に進もう。
一本道をトボトボ歩く私の耳に、軽トラックが後方から近づく音。ブーーーン・・・
ふと思い立つ。
「ヒッチハイクってやつをしてみようか。」
この思いつきが、その後の私の人生感を変えたと言っても過言ではない。
右手の親指を立て、肘を曲げる。でも根性無いので水平よりは、かなり垂れ気味。
すぐに車が近づいてくる。ブーーーーーンンン。怖くて車を見られない。
さあ来た!・・・・・でも無情にも車は私の横を通りすぎる。ブーーーーーゥ。
無視されたっ。もの凄い恥ずかしさと共に頭を垂れ、私は車から目をそらす・・・もう二度とヒッチハイクなんてやるもんか、と心に誓いながら。
ところが、その私の低い視界の隅で異変が起きた。車が急停車したのだ。運転席のおじさんが叫ぶ。
「どこまでいくんや!」
やったぁ。
高知市内まで行くという地元のおじさんは、自称 郷土史家。30分ほどの道中、色々な歴史を語ってくれた。しかしその強烈な高知弁のお陰で、殆ど聞き取れない。理解度は10%以下。
私は、ひたすらうなずき、適当な合いの手を入れるのであった。でも本当に楽しかった。
味を占めた私は、その後も頻繁にヒッチハイクを試みた。四国で、山陰で、九州で。
そこで知った真実が幾つか。