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第7号 マスター・オブ・ライフへの道(後編) 

心にヒマのある生物、人間

まずは、マンガの前編で書いた『寄生獣』に戻る。

主人公 新一とそれと一体化した寄生獣ミギー(右手を代替しているからミギー)。

物語は、人類とそれに寄生し捕食する生物 寄生獣の間の戦いと共生をつづったものだ。彼らは元来、極めて合理的であり、所謂社会性や人間的感情もない。物語はその対比を示しつつ、人間の非合理性や感情の意味を探ってもいる。


様々な戦いが終わり、最後のシーン(第10巻)でミギーが静かに問いかける。

「ある日 道で・・・」

「道で出会って 知り合いになった生き物が」

「ふと見ると 死んでいた」

「そんな時 なんで悲しく なるんだろう」


「そりゃ人間がそれだけ ヒマな動物だからさ」

「だがな それこそが 人間の 最大の取り柄 なんだ」

「心に余裕(ヒマ)のある生物」

「なんと すばらしい!!」


何年か前にNHK教育テレビで「野猫学(のねこがく)」をやっていた。琉球大学 教授の伊澤雅子さんによるものだったが、これはかなりの衝撃だった。

ノラネコを学術的には野猫と呼ぶことも新鮮だったが、様々なフィールド調査を通じて、その深い本質を解き明かそうとする情熱。彼女の本業は動物行動学でイリオモテヤマネコなど希少種保全なども研究テーマだが、この野猫研究も中核テーマの一つだ。


ここで明かされるネコ社会の基本原則(例えば「道の通行は先着順」「高いところにいるものが勝ち」等)は大変興味深いがこれはNHK人間大学テキスト『群れる・離れるの動物学』に譲るものとして、私の最大関心は「心の余裕(ヒマ)」だった。「ノラネコで食っている人がいるんだ・・・」


私の大学時代の友人には基礎科学の研究者が多く、星や素粒子や時間の性質を研究することで食っている。研究対象は100億光年(946兆km・・・)の彼方(かなた)であり、1兆分の1メートルの極微(ごくび)であり、1兆分の1秒の刹那(せつな)だ。(因みに刹那は仏教語。1回指を弾く時間の65分の1の時間という。仏陀はその間に人の一生の価値があると説く)

基本的に一般人の日常生活には、全く何の関わりも持たないテーマばかりだ。


では彼・彼女らを食わせているのは?

主には国民の税金だったりする。つまり我々みんなだ。我々の心の余裕が、それを許し、また促進しているのだ。未来を知りたい、過去を知りたい、存在の理由を知りたいと。


野猫もそうなのだ。

それが直接的に人間社会の役に立たなくても良いのだ、きっと。身近な生き物、ノラネコの、面白い生態が分かったら楽しい。それでいいのだ。


新石器時代以降、人間の生活時間配分は劇的に変わった。特に近代においては大衆一般にまで「ヒマな時間」が行き渡った。

食べることに追われなくて済む生活、命の危険を感じ続けなくて良い生活を、あらゆる地球上生物の中で初めて、大量に手に入れたのだ。

それこそが人間の特異性を支えている。この限りない(身を滅ぼすほどの)探求心、好奇心、そして慈悲の心。


人であるために、人であることの意味を最大限 活かすために、心に余裕(ヒマ)を持とう。

追いまくられていてはダメだ。時間的にも精神的にも。どう時間的余裕を作るかは本稿の守備範囲ではないが、マンガによる精神的余裕の作り方を、多少述べてみよう。

小さな純粋さが心の殻を破る

まずは、心の硬さチェックである。素直に純粋で面白いものを見て笑えないようでは重症、余裕度ゼロだ。

純粋といえば「子ども」か「動物」、ということで、チェックの素材としては佐々木倫子(のりこ)さんやあずまきよひこ氏のものが最適だろう。

佐々木倫子さんの『動物のお医者さん』はH大 獣医学部(どう読んでも北海道のH)を舞台にした、動物もの。主人公ハムテル(本名 西根公(きみ)輝(てる))は獣医を目指す学生なのだが、毎回のテーマが見事に動物。巻末にはいつも数十名の「取材協力者」名前がならぶ。

と言うわけで動物関係の蘊蓄(うんちく)構築にも役立つが、私は所々出てくるチョビ(ハムテルの愛犬。シベリアンハスキー・・・)の言葉が好きだ。もちろん声を出して喋るわけではない。「ゴメンね」とか「なに、それ?」とかちょっとした合いの手のようなものだ。これが、いい。


あずまきよひこ氏の『よつばと』は全くの日常がテーマ。

主人公は最近田舎(海外のどこか)から、町に越してきた よつば。推定6才。

「お父さん」曰く「外国に行ったとき拾ってきて、なぜか育てることになった」女の子だ。このとてつもなく無邪気で純粋な子どもが、隣家の3姉妹を巻き込んで引き起こす、小さな出来事達がユーモアたっぷりに綴られていく。


よつば に複雑さは通用しない。楽しいものは楽しいし、コワいものはコワい。特に鳥除けの大きな目玉の風船は大嫌い。にわか雨は大好き。雷が鳴れば長靴を履いて傘なしで外に飛び出す。打上花火を初めて見て感動し「おっきーなー」「はなや意味ねーなー」叫び、花屋のあんちゃんを焦らせる。 彼女は「無敵だ」。

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