第3号 歴史が教える「事を成す力」(前編)
「管仲(かんちゅう)」「晏子(あんし)」「孟嘗君(もうしょうくん)」
古代中国を舞台とした小説で有名な、宮城谷昌光氏の描く、古代中国の英雄たちには「名宰相」が多い。「重耳(ちょうじ)」(春秋時代の覇者、晋(しん)の英雄で、死後 文公と呼ばれる)のような名君そのものも描かれるが、主人公の殆どは、その補佐役達だ。
管仲、晏子、孟嘗君といった名補佐役達は、一種「超人的」である。時代や他人に流されぬ意志の強さを持ち、洞察力や判断力に優れる。主君や民のため、また「天意」のため世の平安をもたらそうと命を掛ける。数十年、数代を経ながら、全ての呻吟艱苦(しんぎんかんく)を乗り越えていくのだ。
これら諸書を読むと、主君を補佐する者ものの大変さや辛さ、そしてその才覚の偉大さ・重要さがよくわかる。
しかし、実は、そこで本当に見えるものは「リーダーの在り方」ではないだろうか。
苦言に耳を傾けられる「器」
その例を、戦国春秋時代の小国・宋の名宰相、華元で見てみよう(宮城谷昌光『華栄の丘』)。
主君たる文公は、華元に何度も諫言(かんげん)を受けている。その最大のものは、文公が公子時代、先代の王を打倒しようとし、華元に相談をした時、淡々と華元が発した言葉だ。「正しい政治を実現したいのであれば手段を選ぶべきです。宋が公子を必要とするまで、耐えて、お待ちになるべきです」
それを聞いた文公は憤慨する。既に自分は十年以上待っている。これ以上耐えて待てとはどういうことだ、と。
しかし冷静になって思う。確かに自分のしようとしていることは正統の王に反旗を翻す「叛逆」だ。にもかかわらず、なぜこれまで相談した他の諸侯は、誰も私を諫(いさ)めようとはしなかったのか。
そして文公は目を覚す。真に採るべき道、頼るべき臣、を理解したのだった。
つまり、文公は、自分(リーダー)をも育てる補佐役(つまり華元)を選ぶ目を持ち、時には批判や苦言とも聞こえる忠言に耳を傾けることが出来たのだ。ここで文公が悟ったことこそが良きリーダーの要件の一つだろう。
臣をやる気にさせる「器」
もう一つの要件は、才能ある部下たちの力を引き出す徳と度量だ。
大軍を任されたにも関わらず華元は戦(いくさ)に大敗し敵国の捕虜となる。その後帰国した華元は、文公に死を乞う。「臣(華元のこと)の罪は万死にあたいします」
平伏する華元を前に、文公はさわやかに言う。「なんじを喪(うしな)わずにすんだ。わしの運も弱くはない」「(敗戦の)将軍が万死にあたいするなら、選んだわしも万死にあたいする。ともに死ぬのはもう少し先でも良いではないか」
この言葉を聞いた華元は心を震わせる。命を捧げるに足る君子だ、と。
よく「良い人材は社内に多いが、それを活用し切れていない」という声を聞く。そうであるなら、それはまさに、経営者の「器」の問題だ。信と才ある者を抜擢し、それに耳を傾け、称賛しよう。名君に飢えた彼・彼女らは、命を賭して働くだろう。