第1号 SFが教えるヒトの本質(前編)
SFには幾つかの「類型」がある。「E.T.」「未知との遭遇」といった『ファーストコンタクト』もの、「2001年宇宙の旅」「バーサーカー三部作」「戦闘妖精 雪風(ゆきかぜ)」といった『人工知性』もの、「百億の昼と千億の夜」「コンタクト」「BRAIN(ブレイン) VALLEY(バレー)」といった『神』もの、「地球幼年期の終わり」に代表される『進化』もの。
例えばファーストコンタクトものでは、我々は「コミュニケーション」の本質を見せられる。
そもそもコミュニケーションとは何だろうか。情報の伝達?交換?変化? その前に、情報の定義は? 伝達のためのプロトコル(手順)は? 情報評価のためのクライテリア(基準)は?
相手が全くの異世界から来た者である場合、挨拶とはなんだろう。音か光か、殴り合いか抱擁か。好意と悪意はどう表現されるのか、人間的感情などあるのか。そもそも生死は同じ定義か、死(活動停止?)は相手にとって忌むべきことなのか・・・ まともなコミュニケーションの成立は、かなり絶望的である。
コミュニケーションとは、膨大な「前提条件」の上で成り立つ極めて精妙なガラス細工なのだ。
地球という同じ環境に育つ、似たような知性体同士のお話しでは、決して実現することのない、決定的な「断絶」の場がSFでは生み出せる。そう、SFとは、ある本質的なテーマを、純粋に議論・表現するための理想的な実験場なのだ。
星新一は問う。「あなたはある日、相手を食べることが挨拶の宇宙人と出会った。その挨拶を断れば宇宙戦争で地球は滅びる。さて、アナタならどうする?」
私が最も影響を受けたSFの一つはアーサー・C・クラークの「地球幼年期の終わり(原題:Childhood’s End)」である。これはヒトの『進化』を扱ったものだ。
設定は簡単。ある日、圧倒的科学力を誇る宇宙人(主上:master load と呼ばれる)が、地球を訪れ宣言する。これより地球を自分たちの管理下に置く、と。ヒトは驚き、反発し、抵抗し、諦める。そして、時を置かずして子供たちの『進化』が始まる。その進化は圧倒的で、親たちとはもう言葉や思考、感情を共有することすら出来ない。
それら次世代人類から見れば、今のヒトは遠い祖先の一つに過ぎない。我々(ヒト)自身、祖先である原人(ジャワ原人など)を、理解し、尊敬することがあるだろうか。進化したサル程度にしか思うまい。次世代人類から見た我々も、必ずそうなる。
生み出した親でありながら、子を理解も出来ず、されず、滅ぼされる。そういう日が来るのだと。真の『進化』とは、そういう壮絶なる断絶なのだと。
最後にクラークは、主上(宇宙人)にこう言わせている。「ヒトはこれを悲しむべきではない。次世代の知性体を生み出せたことを誇るべきだ。我々の種族は今のヒトよりは遙かに優れるが、決して我々から次世代の知性体は生まれてこない。その悲しみは、子に滅ぼされるそれより深いのだ」と。
これらメッセージの正しさや大きさの評価は、読者諸氏に任せよう(是非、読んでみて下さい)。ただ私には思える。これは確かに、ヒトの本質、進化というものの本質を描いている、と。
連載第一回はSFの前編として、ここまでとする。後編はSF話に加え、科学書(フィクションでない)の話も加え、得られる「本質」を紹介することとしよう。
本リスト
SF
- 2001年宇宙の旅、アーサー・C. クラーク著、ハヤカワ文庫SF
- バーサーカー三部作(『皆殺し軍団』『赤方偏移の仮面』『星のオルフェ』)フレッド・セイバーヘーゲン 著、ハヤカワSF文庫
- 戦闘妖精 雪風(改)、神林 長平 著、ハヤカワ文庫JA
- 百億の昼と千億の夜、光瀬 龍 著、ハヤカワ文庫 JA(萩尾 望都によるマンガ版もある、少年チャンピオン・コミックス)
- コンタクト、カール・セーガン 著、新潮文庫
- BRAIN VALLEY、瀬名 秀明 著(パラサイト・イヴの作者)、角川文庫
- 地球幼年期の終わり、アーサー・C・クラーク 著、創元推理文庫
- 上弦の月を喰べる獅子、夢枕獏 著、早川文庫JA
科学書
- 消えたイワシからの暗号、河井 智康 著、三五館
- 大絶滅 Extinction、D. M. ラウプ、平河出版社
- 法隆寺を支えた木、西岡常一・小原二郎 著、NHKブックス
- スノーボールアース、ガブリエル・ウォーカー 著、早川書房
- 地球大進化 第1巻~第6巻、NHK「地球大進化」プロジェクト 編、NHK出版
- 美しくなければならない - 現代科学の偉大な方程式、グレアム・ファーメロ 著、紀伊國屋書店
初出:CAREERINQ. 2005/02/04