第53号 なぜ、どうやって、と問うてはいけないとき
なぜ、どうやって、が大発見をコロす
紀元前140年頃、エジプト アレキサンドリアに住むエラトステネスは、気がついた。アレキサンドリアの南にあるシェネ(今のアスワン)では、夏至に太陽が井戸の底を照らすのに、アレキサンドリアではそうならないことを。
彼は「地球が丸い」からだと推論し地球の円周を測ろうとさえした。
アレキサンドリアとシェネ間の距離が925km。そして夏至の日の太陽高度差はこの2都市間で約7.2度。そこから導き出された地球の円周は4.65万km。実際の4万kmに極めて近い数字と言える。
しかし、その後千数百年の間、この概念も結論も、中世の暗黒の中に押し込められた。
理由は「感覚」と「なぜ・どうやって」だった。
まずは感覚に合わない。丸いとしたら、裏側はどうなるのだ。しかもどこまで行っても一周なんて出来ないぞ。
その原動力(どうやって)も疑われた。
こんな硬い岩を球状に丸めるなんてとんでもない。そんな力はどこにある。球の裏側の人を引っ張っておく力などどこにある。
そういった声に、この偉大な発見と測定結果は封殺された。
マゼランが世界一周して(結果、船内の暦は1日ずれていた)地球が丸いことを証明したのが1522年、ニュートンが万有引力を「発見」したのは1687年だった。
ヴェーゲナーをコロしたのは誰
1915年に『大陸移動説』を発表したドイツの気象学者 アルフレート・ヴェーゲナーも、同じ悲哀を味わった。
大学の図書館で世界地図を眺めていて、彼は直観する。
「アフリカ西岸と、南アメリカ東岸の形はあまりにそっくりだ。昔は一体だったに違いない」
動植物の分布から地層・地形・化石・古季候まで、さまざまな証拠を集めて5年後、彼は『大陸移動説』を提起したが、強い批判にさらされた。
1929年には更に多くの証拠を集め、古代の超大陸『パンゲア』の発見を唱えたが、否定され、やがて無視された。
これも「感覚」と「どうやって」の故であった。
年に数センチとは言え、こんな堅く重い大陸が動くなんて信じられない。何よりも、その原動力が分からない。
ヴェーゲナーは遠心力や潮汐力に答えを求めたが、それでは明らかに足りない。
世界中の地理学者・地球物理学者たちが彼を糾弾した。「門外漢の気象学者が何を言うか」と。
1950年代に発達し、60年代に完成したプレートテクニクス理論が、その大陸移動の原動力を解明した。地中深くのマントル対流により、確かに大陸はゆっくり動く。
70年代後半には、宇宙測地技術により大陸の動きが、直接測れるようになった。ハワイは、毎年確実に60mmずつ西へと動き、日本列島に近づいていたのだ。
ヴェーゲナーの説が顧みられ賞賛の的となったのはしかし、彼の死後であった。
彼は自説を補強せんがための5度目のグリーンランド探検で1930年、命を落としていた。享年50、失意の中の退場だった。
この世紀の大発見、素晴らしい研究成果、そして稀代の研究者をコロしたのはグリーンランドの寒さではない。
当時の「専門家」たちの感覚(常識)であり「どうやって」の追及が、彼とその大発見を文字通りコロしたのだ。
発見が先、手段・理由は後
だから、発見(What)が先で、方法や手段、理由(How・Why)は後だ。
面白いものを発見しさえすれば、そこからじっくり探究すればいい。
面白い発見(やアイデア)に対して、決していきなり「なんでだ」「どうやってやるんだ」という質問をぶつけてはいけない。
まずはその発見を喜び、そして「本当にそうなのか」を確かめること。その新発見が確かでさえあれば、きっとその先に、大きなHowやWhyの発見が眠っている。急がなくていい。
新しいアイデアや発想には定義により前例がない。
当然そのメカニズム(機構と原動力)や因果関係の理解も浅いし証拠もない。
なのに「証拠は?」とか「なんで?」とか「どうやって?」とかぶつければ、相手は受けきれるはずがない。
発見をまずは奨励・賞賛して、手段や理由の探究は後回しにしよう。
業務改革の先進企業であるリコー流に言えば「TTY」だ。
whaT Then whY.
事実が先で、なぜかは後。発見が先で、原因追及は後。
問題自体が分からないときに、なぜ、を繰り返しても意味がない。まずは、発見を続け、問題そのものを見いだそう。
8月には『発想力』本、出版されます。乞う御期待!
初出:CAREERINQ. 2009/06/15