第46号 発見物語(2)発見は対立から
ノーベル物理学賞「小林・益川理論」
米国に端を発した金融危機が世界を蹂躙(じゅうりん)する中、2008年秋、日本の碩学(せきがく)四人がノーベル賞を受賞した。
物理学賞に南部陽一郎博士、小林誠博士、益川(ますかわ)敏英博士、化学賞に下村脩(おさむ)博士だ。
彼らの突出した業績は、どうやって生まれたのだろうか。「小林・益川理論」で見てみよう。
この理論で未知のクォーク(物質の最小構成単位の一つ)の存在を予言した小林・益川氏。
彼らの素晴らしき二人三脚は、実は「対立」から来るものであった。
二人ともが無名の大学助手だった1972年5月、その研究は始まった。当時、宇宙の大きなナゾの一つであった「CP対称性の破れ」を理由づけるために、彼らは物質の根源であるクォークの在り方を考え始めたのだ。
当時知られていたクォークは3種類。しかし、それでは「CP対称性の破れ」が説明できない。では、クォークがどうであれば、自然と「CP対称性の破れ」が起こるのか。(これがいわゆる、自律的対称性の破れ。南部陽一郎博士が提唱した)
見つかっていたクォークは質量が軽いアップクォークとダウンクォーク、それに結構重いストレンジクォーク。
軽い2つが第一世代、重いヤツは第二世代と呼ばれる。益川氏は考えた。世代毎にクォークは2つペアであるハズだから、きっと4つめのクォークがある。重めの第二世代のクォークが、もう一つあるはずだ。
そう当たりをつけた益川氏は、必死で新理論を考えた。それは当時の最先端の研究であり、その理論(クォークが4つだから『4元モデル』)の完成を、世界中の天才科学者たちが競っていた。
みんなの最先端、に答えはなかった
しかし残念ながら、そこには答えはなかった。
理論の骨格となるコンセプトを考え、数式に落とし、計算をし、そこで出てきた数値を実験で確かめる。理論通りの数値が観測されれば、理論の勝ち。されなければ負けである。
益川氏が考えた理論に対し、「秀才」で実験の上手な小林氏が軽々と論破する。
「それじゃ、うまく行かないよ」
たまたま大学の組合活動に忙しかった益川氏は、午前と夜だけの研究活動。彼が毎夜、新しいモデルを作り、それを日中、小林氏が実験でつぶして否定する。
「これじゃ、ダメだよ」
それは一ヶ月の間、毎日続いた。
そして遂に益川氏はある日、風呂上がりに、閃く。
「4つじゃない、6つなんだ」
「クォークが6つならうまく行く。クォークはきっと、第三世代まであるんだ」
彼は早速、それを6元モデルとしてまとめ、小林氏と二人で理論へと昇華させた。
大学(と組合活動)が夏休み中の、2ヶ月間の早業だった。
多くの研究者が暗黙のうちに前提としていた4元モデルに答えはなかった。みんなの常識に、真実は覆い隠されていたのだ。