第29号 教えず導く(大学生編)
カップル比 10%の大学講義
数年前のある日、上智大学を訪れた。当時の上司、程近智(ほど ちかとも)さん(現アクセンチュア日本社長)が持っていた経営学講座の講師としてだ。
キャンパスに足を踏み入れた頃からクラクラするほどの違和感。女性比率8割のキャンパス風景は極めて馴染みのないものだった。
講義の行われる大教室は、最大300名を収容するすり鉢状の階段教室。200余名の受講生が三々五々集まってくる。直前に教室変更があったため、遅刻者多数である。
全体の男女比は半々ほど。前列には割とマジメな人たち、中段には色々な人、そして後列には遅刻者となんとカップル受講者たち。みなさんザワザワザワザワ。程さんによる講義が始まっても、ざわつきは収まらない。
まるでマイク・スピーカーによる大音量と張り合うかのように、私語に精を出している。ワイワイガヤガヤヘェヘェソウナンダー。
壇上からの話の内容は、自分たちが前回の講義時に出した質問票への答え、だというのに・・・まじめに聞いている人は3割程か。
もうすぐ私の出番。テーマはCRM。でも問題はそれ以前だねえ。これではダメだ、この「場」を一体どうしようか。私は階段教室の最後方からじっと「戦場」を見つめる。
場の支配、心の準備
程さんから紹介され、私は教壇へと歩き出す。一歩一歩、カツカツとブーツの靴音高く。
視線は前に、学生の方は見ない。学生からの視線が背中に集まるのが分かる。そのまま壇に飛び上がり、くるりと振り向く。にこりとも、せずに。 ここが勝負だ。
私はそのままゆっくりと頭を廻らせ、学生達を眺め渡す。口を結んだまま、一言も発せず、無表情に。数秒後、ただならぬ雰囲気に、急速にざわつきが減っていく。
それでも話し続ける呑気(のんき)な学生もまだ2割。この講師はなにもんだろう、何でだまってんだろう、なんて喋っている者も。 では、もう一撃。
私は人差し指を立てて、口の前にそっともってくる。これなら分かるよねえ。みなさん、静かに、しましょう。
やばい、といった感じの緊張感と共に「ほぼ」全員の無言の視線が私に集まる。
これでも数名、前すら見ずに私語に励む者がいる。私は視線だけでその周りの学生に促す。「そいつを黙らせてくれないかな」
ようやくの静寂。ここまで30秒足らず。でも、もう一つ、準備が要る。
中段の人、私の声が聞こえますか? 聞こえますね。私はマイクを使いません。後列の人、講義を聴く気があるなら前に移ってください。席は充分あります。
席の移動にもう30秒。余計なことは喋らない、余計な動きもしない。ただじっと壇上から移動を見つめる。
よし、準備は出来た。
私のではない。聞く人たちの心の準備が、だ。
虚心坦懐 まずは受け入れ、集中する心なくして学びはない。さあ講義を始めよう。