第25号 超長編小説としてのTVゲーム(後編)
シミュレーションゲーム Strategy Game
シミュレーションゲームといっても幅広い。国家や企業・競馬・人生・恋愛などを対象に、その育成・経営を競うものもあれば、実機の将にシミュレーターを味わうもの(電車、飛行機操縦及び管制、戦車・自動車など)もある。
その精度はかなり高く、企業経営やマーケティングを題材にしたものは、学生や社会人教育の場においても近年多用されている。
今回取りあげるのは、しかし、そういう実益系のものではない。ズバリ遊び系の「戦い物」だ。例を挙げると;
・歴史:信長の野望、三國志
・戦闘:大戦略、鋼鉄の咆哮(くろがねのほうこう)
・RPG:オウガバトル、ファイナルファンタジータクティクス(FFT)、フロントミッション、
などなど。
いずれも、様々なキャラクターや武器の個性や成長を楽しむと共に、戦略・戦術の神髄を教えてくれるものだ。英語ではStrategy Gameとも称される。
私のシミュレーションゲームとの最初の出会いは、スタートレック・ゲーム。1980年頃の話だ。
画面に表示されるのは粗い遠景・近景マップと艦隊の位置のみ。エンタープライズ号を表す表示は「E」の一文字。
殆どを頭の中で想像しながら、光子魚雷とフェザー砲を打ちまくる。すぐ砲弾はなくなるし、あちこち故障しまくるので、うまく味方基地に寄航しながら、というバランス感覚が勝敗を分けた。
米国でMike Mayfieldが、BASIC言語で最初に作ったのが72年。76年にはAppleIIに移植されて大ヒットとなった。ただゲーム的には原作の「宇宙融和」精神とはかけ離れた、敵クリンゴン艦隊殲滅(せんめつ)のみのWarゲームだ。
そういう意味では極めて(アメリカ的な?)勧善懲悪もの・・・
ダメだ。これでは単純に過ぎる。この世は、もっともっと複雑なのだ・・・
4度楽しい「信長の野望」。我は誰だ!
私を本当にのめり込ませた最初のシミュレーションゲームは、コーエーの「信長の野望」だ。
INSEADで英語(とフランス語)漬けだった92年後半、私はちょっとだけ日本語に飢えていた。しかしパリ郊外のFontainebleauに日本語コンテンツは、乏しい。
その時、ほぼ唯一の入手源が大手企業からの派遣組がもたらす日本の雑誌だった。総務部が月に2冊、指定のものを送ってくれていた。流石、日本企業。
私は時々友人宅で、文藝春秋などを読み耽っていた。文藝春秋を(しかも隅から隅まで)読んでいたのは、後にも先にもあの1年だけだ。
ある日その友人宅に日本から「それ」は送られてきた。その名も「信長の野望 武将風雲録」
83年の初代から数えて4代目、90年にPC-8801向けに発売されたのが「武将風雲録」だ。
友人を押しのけ、ゲームを始めた私は、そのまま徹夜で続行し、ついには翌日の授業を全て欠席した。遂に眠気で倒れるまで30時間以上、連続でプレイしたのではないだろうか。
武将風雲録の特長は、1. スタート時、各地41名の戦国大名の中から自由に主人公を選べること、2. 配下の忠誠心を高めるために「茶器」などが導入されたこと。
結局、2日を掛けて、
・1回目:尾張の信長からスタート
・2回目:飛騨の姉小路から
・3.回目:薩摩の島津から
・4回目:奥州の伊達から
と、丸々4回プレイした。1回目はもちろん主人公 信長で史実に近く。これはこれで、面白い。
しかし2回目は最高難度を試したくて、最強の大名たち(信長、武田信玄、上杉謙信、斎藤道三!)に囲まれた最弱の勢力を選んだ。領地も狭く、資金も少なく、配下の武将もしょぼい。放っておけばわずか2~3ターンで武田に攻め滅ばされる。そんな場所から天下統一が成し遂げられるのか!
3回目は更に難度を上げるために、最果ての地からのスタートだ。中央に攻め上るまでに時間が掛かり、その間に信長等が支配地を拡げ、強大になっている。これら列強と天下統一をかけた正面勝負だ。
そして最後4回目は全ての戦国武将が寿命などでいなくなった後の特殊エンディングが見たくて、当時最も若かった独眼竜 伊達政宗を選んだ。
天下統一をせず、膠着状態にしてプレイを半自動で続けていくと、武将が死に絶えた地域が真っ白になっていく。ある時期から、日本中が次々白いタイルで埋められていくのだ。
1636年、史実通り政宗が死に、画面は真っ白に・・・そして・・・
自分でストーリーや難易度を自由に変えられる。これは究極のフリーシナリオ型ゲームと言えよう。
しかし、「信長の野望」の真の楽しさはその戦略性と戦術性の深さにある。
戦いは事前の準備で、勝敗は半分決まっている。同時に、勝機を見極めた乾坤一擲の作戦で、大逆転も図りうる。そういったことを、教えてくれるゲームだ。