第16号 MBAに学ぶ(後編)
Rome! By all means, Rome.
約1年半、私はフランス フォンテーヌブローで暮らしINSEADに通った。
もの凄い「詰め込み」なので学期と学期の間は、土日含めて3日しか休みがなかったりする。それでも1月スタート12月修了の冬コース※1だったので、途中1ヶ月半の夏休みもあり、数多くの旅行を楽しめた。
まずは3月初旬に行った、Roma(仏語綴り)での2日間。これは誠に素晴らしいものだった。
最初はちょっとした驚きから始まった。
Torinoオリンピックの開会式で気がつかれただろうか。日本はNipponでもJapanでもJaponない、Gipponeだったのだ。これはビックリした。
ローマのホテルで日本への国際電話の仕方を調べようと思って、電話帳を開いても「J」のところにJapanに近い綴りがないのだから。
イタリア電話公社は日本をなめているのか!とちょっと本気で思ったが、気を取り直してリストを眺めていたら、ああ、これかと。
その後、ホテルの自室から日本に国際電話を掛けて毎分2,000円チャージされたのもビックリしたが、抗議してももちろんムダだった。
さて、Romaで最初に訪れたのはバチカン市国、システィーナ礼拝堂。
ミケランジェロの壁画「最後の審判」は修復中で見られなかった。でも一杯の「笑顔」と出会えた。
ヨーロッパでは北から南にかけて子供大好き社会になる。イギリスでは、子は高校を卒業したら100%家を出て、そのまま戻らない。親もその巣立ちの時をまだかまだかと待ちかまえている。
一方、スペイン、イタリアでは子供大好き、家族大好き、お母さん大好き、だ。Romaも全く例外ではなく、行く先々で私たちの長女(生後5ヶ月)は、圧倒的な人気を博していた。
若い男性以外は老若男女、みんながニコニコしながら寄ってくる。それどころかイタリア人の集団に囲まれて軟禁状態になったことも2度。ミラノから来た女子高生30人が「今度は私がこの子と一緒に写真を撮る!」と長女を奪い合って、30分間。イタリアの農協の団体さんに取り囲まれて15分間。
日本人の新生児が当地では珍しいせいもあるだろうが、特有の「真ん丸さ」が、受けたようだ。細い目に低い鼻、まっすぐの髪・・・私たちに当たり前のものが「赤ちゃんらしい」「カワイイ」と映る。
ともかく、人々の笑顔に囲まれて、とても快適な2日間だった。バチカン、パラティーノの丘、フォア・ロマーノ、トレビの泉、そしてスペイン広場。
ヨーロッパではどこが一番良かったかって?
それはもちろんローマ、なんと言ってもローマ。(『ローマの休日』より)
Hasta la vista, baby
アスタ ラ ヴィスタ。
これはスペイン語で、また会う日まで元気でね、じゃあまたな、という意味。それを英語として使うとちょっとワルぶった感じの別れの挨拶になる。
『ターミネーター2(T2)』で最も有名なこのセリフは、故に日本語字幕では「地獄で会おうぜベイビー」と訳された。名訳である。
当時、ちょうどT2が封切られていたのだが、私はフランス語に吹き替えられたT2(てるみなたー・どぅ)も、フランス語字幕のT2(そんな素早く仏語を読めない)も勘弁だったので、日本に帰国後見た。
さて問題は、この映画のスペイン語版だ。
スペイン人にとってHasta la vistaは日常語。ちっともワルぶってない。ではスペインのT2配給元はどうしたか?
なんとこのスペイン語を、SAYONARA, baby.と「訳した」のだ。
大抵のスペイン人は「サヨナラ」という言葉を知っている。昔々(1957!)、マーロン・ブランド主演の同名の映画が流行ったから(らしい)。
これからは、T2で知った、ということになるのだろう。
夏のスペインでの旅も楽しいものだった。お勧めは国有のホテルチェーンである「PARADORパラドール」だ。
殆どが歴史的建造物そのもの、もしくはそれに準ずるような建物によって構成されている。
スペインの友人曰く「独裁者フランコの唯一のよい遺産」だ。設備もロケーションも良いし英語も通じる。
問題は予約が取りづらいことだが、何より絶景、抜群の眺望を持つ。特にアルコスデラフロンテーラのPARADORはお薦めだ。
奥行き3mほどの広いベランダの下は、100m以上の断崖絶壁。鳥が空に舞うのを上から見下ろし、なだらかに続く丘と畑が、視界いっぱいに限りなく広がる。鳥のさえずる声も、トラックの音も、遠くからかすかに聞こえてくる。
そこでは確かに時がゆっくりと流れていた。
※1 他に9月スタート7月修了の夏コースがある