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第44号 オリンピックメダリスト誕生の秘密

北京五輪のヒーロー・ヒロインたち

4年に一度の祭典、北京五輪が閉幕した。

結局、48人を数えた日本人メダリストたち(ソフトボール、体操等の団体種目含む)のなか、金メダルだけを見ても「連覇」が目立つ。


前回も柔道の野村選手、谷選手らがそうだったが、アテネ五輪では全16個(団体は1と数える)の金メダルのうち、連覇は2個(13%)だけ。

今回は、水泳の北島選手(2個)、柔道の内柴、谷本、上野選手、レスリングの吉田、伊調馨選手と、9個中なんと7個を占める。なんと78%だ。


もう一つ、目立つのは英才教育。

やはり、多くの選手が幼少時から相当レベルの訓練を積んできている。やはり国としてそういう支援体制がない限り、世界レベルの才能を開花させることはできないと言うことなのだろう。


ただ、その種目をやり始めたきっかけは様々だ。

まずは「親エリート」系。体操の内村選手しかり、レスリングの吉田選手しかり(メダルには届かなかったが、重量挙げの三宅選手も父と叔父がメダリスト)。

面白いのは「親あこがれ」系。

日本フェンシング界初のメダリスト、太田選手の場合がそうだ。フェンシング経験者のお父さんが、子どもにやらせたくて末っ子をファミコンとゲームで釣ったという・・・。


ただ、調べてみると「兄弟姉妹・友達」系が断然多い。

妹である伊調馨選手はもちろんそうだが、姉の伊調千春選手もそう。兄にくっついて5歳から。

オグシオの小椋選手は姉の影響で8歳からだし、潮田選手は友だちに誘われて6歳から。

柔道の中村美里選手も同じで、小3から。

北島選手も5歳の時「近所の友だちが行っていたスイミングスクールの短期教室に一緒に行った」のが最初。

柔道の内柴選手は9歳から、なんと「5歳上の兄にケンカで勝つため」に、とか。小学生が中学生に挑むとは・・・これも兄弟姉妹系か。

彼・彼女が本気になったわけ

小学1年生から、やはり兄の影響で柔道を始めた谷亮子選手。彼女が本気になったのは、直後、小学2年生の秋だった。

地元の神社(博多祇園山笠で知られる櫛田神社)での奉納試合に出場し、男子5人を破って(うち2人が骨折したとか)優勝し、「金メダル」を得た。

彼女は「一生懸命やれば、こんなにすてきなメダルがもらえると思ったんです」と。(西日本新聞 記事より)そこから彼女の「本気」が始まった。


体操 内村航平選手の高校時代の口癖は「オヤジを超えたい」。そして、その憧れの選手は同じく「親エリート」系の塚原直也選手。

中学卒業後、彼は両親の反対を押し切って上京し、塚原選手のいる朝日生命体操クラブに入門した。

彼を本気にさせたのは、親であり、憧れの選手だった。


兄にケンカで勝つために、小3で柔道を始めた内柴選手だったが、1年後、父親が彼に尋ねる。

「柔道は好きか?」

「はい」

「柔道を仕事にするか?」

これに対し、内柴少年、迷わず

「はいっ!」

以降、小4で(近所だが)寮に入って、柔道一筋の生活に入った。

ここに見えるのは、親と子の決断・思い切り、だろうか。

若さ爆発:石井 対 篠原

最後は、ちょっと、おもしろ話を。

柔道最終日、男子100キロ超級では新星の石井慧選手が初の金メダルを獲得した。

その時のテレビ解説者は、篠原元世界王者。シドニー五輪 銀メダリストであり、天理大監督である。

彼は石井選手が勝ち上がってきた試合を「これまで見た中で一番良い」と絶賛した。決勝も、石井は終始攻勢で、優勢勝ちを収めた。見事金メダル。


石井選手はその直後のインタビューで、まず叫んだ。「優勝はみんなのおかげ」と。

でもその後が、凄かった。


(Q.畳はどうだったか?←滑るとの噂があった)

「滑らなかったですっ」

(Q.プレッシャーは?)

「五輪のプレッシャーなんて、こう言っちゃ失礼ですけど(大学の先輩で日本男子監督の)斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁のすっぱ(突っ張り)みたいなもの」

「柔道をスポーツだと思ってない。戦いだと思ってる。だからまた戻って空気イスやる」


(Q.これまでの試合経過について)

「決勝が自分の柔道」

「(出身高校の)国士舘の柔道は、(監督の)岩渕先生も言われているとおり、絶対負けてはいけない柔道」

「だから決勝は、冒険もせずに完ぺきに勝ちに行った」

「全日本選手権覇者が負けることは、日本が負けることだと、斉藤先生に耳にたこができるぐらい聞いていた」


(Q.これからどうしたい?)

「今は遊びたいっす」

「(去り際に)いや、練習したい~(笑)」


これらは、今大会最高の爆笑コメントだった。

これを聞いた解説 篠原大先輩曰く 、

「石井は、しゃべらんほうが良いですね (-_-メ)」


更に篠原解説者は、石井選手の表彰式の合間にアナウンサーから、「銀メダルのタングリエフ選手とは過去に2回、篠原さんも戦ってますね」と水を向けられ、

「はい。ちなみに私は圧勝でした ( ̄^ ̄)v」と、トドメ。


篠原さん、後輩に喧嘩売って、現役復帰!? もしくは「国士舘 対 天理大」抗争へ発展か!?


おもしろかった・・・


この数年、苦しみ抜いた北島選手や内柴選手には、感謝の言葉がよく似合う。彼らの「ありがとう」には修羅場をくぐり抜けた者の凄味さえある。


でも、次代を担う若手には、未来への言葉こそ相応しい。遊び、練習し、そしてロンドンへ!

初出:CAREERINQ. 2008/09/16

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